天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

聖書以外のイエス・キリストの記録(2)

ユダヤキリスト教 封印のバチカン文書」から一部をご紹介します。
エスが金髪・碧眼だっというくだりは、日本のある教会ではこの箇所を問題ありと
削除して、信徒に読ませている所もあるそうです。

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■ピラトの報告書(ローマ皇帝 ティベリウスカエサル宛)

「ある日、シロの地方を通りがかったときに、群衆を目にしました。その中央で、木にもたれながら、静かに説教をしている若者がおりました。彼がイエスであると言われたときには、耳を疑いそうになりました。彼と、彼の話しを聞いている者たちとは、あまりにかけ離れているように見えたからです。
 彼の黄金色の髪と髭は、あたかも天の御使いを思わせました。年齢は30歳前後に見えます。このような優美で物静かな顔の人を、私はこれまでに見たことがありません。黒髭に黄褐色の顔の聴衆と較べ、何たる違いでありましょうか。」(P137-138)

「私は、暴動を静めるにはあまりに無力でありましたため、官邸を屈辱的な妥協にさらすことなく、街に平静を取り戻せる方法を、とることに致しました。すなわち、イエスに手紙を書き、官邸で話をしたいと申し出たのであります。
 彼は、ここに来ました。ナザレ人が姿を現したとき、私は、邸内を歩いておりました。私の両足は、鉄の杭によって大理石の敷石に打たれたかのようになり、あたかも自分が罪深い被告であるかのように、脚は震えました。一方、ナザレ人は、清廉潔白な人間のように、静かな様子でありました。私のほうへ歩いてくると、彼は立ち止まり、言葉を発することなく、『私はここにいます』と何かのしるしをもって告げたように思われました。
 私は感嘆と畏怖の交錯した思いで、しばしこの男性の並外れた容姿に釘づけになりました。それは、神々や英雄の姿を描いてきた、どんな画家にも想像できぬほどの容姿であります。彼には、何一つ、人をはねつけるような態度は見られませんでしたが、畏怖の気持ちと震えから、私は彼に歩み寄ることができずにいました。」(P139-140)


■大祭司カヤパの書簡(サンヒドリンに対する文書)

「私は、提出された証拠から、最善の判断に従って行動を起こしたのでありますから、自分を罪人のようには感じませんでした。私は、命よりも愛する神と祖国を守るために行動したのであり、誤ったとすれば、忠実であるがゆえに、誤ったのであります。
 われわれは、動機の誠実さが行いの尺度になると教えられてきました。私は、自分を責めぬよう努めましたが、それでも恐怖心が胸にわだかまり、夜も昼も心の休まることがありません。
 私は、自分がイエスと出会ったなら、死んだように足下に伏すだろうと、強く思いました。外に出れば、きっと彼と出会うだろうと。
 かような不安な心理状態の中で、この男に関する預言をもっと知るべく、聖書を調べましたが、心は満たされませんでした。私は、許可なく部屋に人を入れぬよう守衛に命じた上で、部屋に錠を下ろしました。
 こうして、妻と妻の父アンナスしかいない部屋の中で、預言を調べていたときのことです。ふと目を上げると、私の前にナザレのイエスが立っていたのであります!
『恐れるな、私だ。あなたは、自由にならんがために、私を罪に定めた。これは、わが父の御業である。あなたの唯一の咎は、邪悪な心を持っていることである。それを悔い改めなければならない。あなたが屠ったこの最後の子羊は、創世以前より定められたものである。このいけにえがささげられたのは、万人のためである。あなた方の他の子羊は、差し出した者たちのためのものであった。だが、これは、万人のためのいけにえ、最後のいけにえなのである。あなたが受け入れるならば、それはあなたのためのいけにえである。私は、あなたとすべての人類が救われるために死んだのだ』
 このように話すと、彼は溶けいるような優しさで私を見つめました。私は、全身の力が抜け、泣くしかなすすべがなくなり、死人のように彼の足下に顔を埋めました。」(P131-132)