天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

「DOUBLE CROSS」イエズス会を脱会したアルベルト・リベラ (6)

もう一人の偽のブラザーはイスカリオテのユダで、彼がキリストを裏切ったのだった。彼はとても宗教的だった。ユダはこう説いていた:自分は奇蹟を起こし、悪魔を追い払い、3年の間いつも主と共にいたと。イエス以外誰も彼が弟子や使徒達の間にまぎれ込んだ潜入者だとは知らなかった。

律法学者:「彼が我々が待っていた裏切り者だ。」

ユダは秘かにユダヤ人の司祭と律法学者と連絡を取っていた・・・ユダは殺し屋として誓いを立てていた。ユダは彼らの宗教を守るため、神の名によって金で買われていたのだった。

それは(ちょうど今日のように)イエスユダヤ人の宗教幹部との全面戦争だった。イエスは自分が十字架につけられた後、弟子達が攻撃されるという機運が高まることを知っていた。彼は弟子達に目の前の戦いに備えるよう説いた。

エス:「私が地に平和をもたらすために来たと思うな。私は平和ではなく、剣を投げ込むために来たのである。(マタイ10章34節)あなた達は、私の名のために全ての人に嫌われるだろう。しかし最後まで耐え忍ぶものは救われる。(マタイ10章22節)

弟子はその師以上の者ではなく、僕はその主人以上の者ではない。(マタイ10章24節)」
「もし家の主人がベルゼブブと言われるならば、その家の者どもはなおさら、どんなにか悪く言われることであろう。(マタイ10章25節)」

これは以前はほとんど説かれることはなかった:「あなたがたはキリストのために、ただ彼を信じることだけではなく、彼のために苦しむことをも賜っている。(ピリピ人1章29節)」

あの黒い夜、最も有名な偽使徒がキリストに死の接吻をした。それは誰を捕まえたらよいのかという兵士達への合図であった。

ユダ:「主に栄光を。」
兵士:「今ユダが彼に口づけたぞ。」
エス:「友よ・・・」
兵士2:「あれが彼だ。彼を捕まえろ。」

マフィアは今日彼らの組織内にいる裏切り者に対して、同じ愛のシンボルを使っている・・・死の接吻を。

警察はイエスを腐敗した裁判官の前に連れて行った。イエスが裁判所に入ってくる前に、彼らは既に判決を知っていた。

裁判官1:「今彼が来たぞ。」
裁判官2:「彼は有罪だ。」
裁判官3:「彼は死ななければならない!」

エスを死に定めるのに、彼らは18ものユダヤの法律を犯していた。

リベラ:「その後何年も数百万もの人々がキリストの教えに従ったということで、同じ様に死刑が宣告されることになった。」
ティム:「リベラ博士、迫害はもう一度勃発するのでしょうか?」
リベラ:「そうだ、ティム。それは400年もの間計画されてきたのだ。今日、彼らの生き方や、彼らが説教したり書いたりすることについて、妥協しないクリスチャンの頭には賞金が掛けられているのだ。バチカンは彼らのゴールである宗教的な“合一”に対する、どんな反対も許さないだろう。」

同じ邪悪な宗教組織のメンバー達は、主イエスを死に定めた。何故なら彼らも主の教えに立つことができなかったからだ。

エスはこれは全て預言を成就させるためだと知っておられた・・・そして彼はご自分の天の父に従い、鞭打たせるように従った。

エスが栄光のうちに創った数百万もの天使達が、宇宙の創造主が十字架にまさに掛けられようとしているのを見て、衝撃を受けていた。

群衆:「彼を十字架に掛けろ!十字架に掛けろ!」

彼の大いなる愛のゆえに、イエスは天使がエルサレムをなぎ払ってしまわないよう引き留めておられた。

彼らは救い主につばきをし、彼の髭を抜いた・・・そして預言は成就した。

“私を打つ者に私の背中をまかせ、私の髭を抜く者に私の頬をまかせ、恥とつばきとを避けるために、私は顔を隠さなかった。(イザヤ50章6節)”

兵士:「(群衆に対し)下がれ!」
人:「なんて混雑だ!」
人:「彼は人間か?顔がつぶれて何もないぞ!」

預言者イザヤは言った:「多くの人が彼に驚いたように― 彼の顔だちは、そこなわれて人と異なり、その姿は人の子と異なっていたからである―(イザヤ52章14節)」

エス神の子羊は十字架にかけられ、彼の尊い血は私達の罪を洗い流すために流された。

エス:「彼らをお許し下さい、父よ。彼らは自分達が何をしているか分からないのです。」
人:「はん!自分で自分を救うこともできないのか!」

“神(天の父)はそのひとり子(神の子、イエス)を賜ったほどに、この世(それは私達のこと)を愛された。それは彼を信じる(寄り沿ったり、信頼したりする)者は誰でも滅びる(火の池に落ちる)ことなく永遠の命を持つ(天国に入る)ためである。”(ヨハネ3章16節)

反対する全てのユダヤ人の宗教グループは一緒になってメシアを拒否した・・・また彼らはそれを神の名によって行った。

神を信じていないローマの統治者、ポンテオ・ピラトはイエスを4度も赦した。しかし彼は群衆の声に押され、また宗教家の圧力に屈した。彼らは自分達が、裁きの日にまさに聖なる神の御前に立ち、自分達が十字架につけたお方の顔を見ることになるとは、夢にも思っていなかった。

エス:「完了した!」

それから彼は言われた・・・“私の魂をあなたの御手に委ねます。こう言われてから、彼は魂を引き渡された。”(ルカ23章46節)

エルサレムにあるユダヤの神殿の、至聖所を覆っているとても高価なぶ厚い幕が、上から下に向けて引き裂かれた。

司祭:「見ろ!裂けている!」

神はユダヤの宗教の中心を打たれたのだ。

ユダヤ教はもはや神には受け入れられてはいなかった・・・イエスが最後の犠牲となったのだ。今や神至る唯一の道はキリストを通して来るのだ。イエスは言われた・・・“私が道であり、真理であり、命である。私を通してでなければ、誰も父のもとに来ることはできない。(ヨハネ14章6節)”

サタンは打ち負かされた。何故なら3日後にイエスは死人の中から甦ったからだ。(ルカ24章1-7節)

もしこれが起こることを闇の力が知っていたならば、彼らは決してイエスを十字架につけさせはしなかっただろう。(Ⅰコリント2章8節)

40日後、もう一度戻られると私たちに告げた後、イエスは天に上られた。

2~3日後弟子達が祈っていた時、神、すなわち聖霊が天から下り、信者を上からの力で満たした。(使徒2章1-47節)

それから彼らは人々にイエスは彼らの罪のために死に、彼らはサタンの死の束縛から逃れられると語って、世界をひっくり返したのだった。

(つづく)