天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

THE FORCE (アルベルト・リベラのシリーズより)(7)

エスが産まれた後、神は彼の最後の預言者イスラエルの子らに遣わした。彼はバプテスマのヨハネであった。彼の使命はイスラエルの救い主のために道を備えることであった。

バプテスマのヨハネ:「悔い改めよ!」

メモ:それが400年後の沈黙の後に発せられた最初の言葉であった。 

悔い改めというのは、自分自身の生き方で生きることを止め、罪を犯すことによって滅茶苦茶に歩んできた道を赦して頂くよう神に乞い、真にすまなく思い、罪を犯すことを止め、神に従い始めるということである。

ヨハネは宗教の指導者達を公然と批難した。何故なら彼らは神の代わりにサタンに仕えていたからであった。彼は彼らを「まむし」と呼んだ。ヨハネは拳を食らわすことはなかった・・・しかしその代償は彼の命だった。

ヨハネはイエスを「神の子羊」と紹介し、彼に洗礼を授けた時、全ての時代における最も尊い贈り物が世界に与えられたのだ。


イスラエルの前に立っているお方は、肉体の形を持った「全能の神」「エホバ」「この天体の創造主」であった・・・しかし彼らは彼をそのように認識できなかった。

しかしサタンと彼の悪魔的な天使は認めた。

サタンはヘロデ王の軍隊をベツレヘムに送り、2歳以下の子供を皆殺しすることによって赤ん坊のイエスを殺そうとした。(マタイ2:16)

エスが40日間断食した荒野での夜、サタンはイエスに自殺させようとした。(マタイ4:6)
サタンは殺し屋の主人なのだ。

エスは決してサタンと対話しようとしなかった。彼は単純に聖書の言葉をもって答えただけだった。イエスは、サタンが彼を攻撃するために利用している宗教の指導者達と、決して話そうとしなかった。イエスはいつも彼らと真正面から向き合った。それはクリスチャンへの戒めであるべきものである。イエスは彼が来たのは剣を投げ込むためであると言われた。(マタイ10:34)

エスパリサイ派の人々とサドカイ派の人々の罪を暴き、彼らを悪魔の子と呼んだ。何故ならサタンがこれらの者達を使って群衆を地獄に引き入れようとしていたからだった。

エス:「罪のない者だけに最初の石を投げさせよう。」

しかし姦淫の行いで捕まえられた女性の場に立ち会った時、イエスは憐れみを示された。彼は妥協することなしに彼らに愛を教えられた。

エスは彼に従う人々に彼らもまた憎まれ、監獄に投げ込まれ、苦しみ、死が課せられるであろうと警告された。

エス:「彼らがあなたたちを憎むよりずっと前に、私を憎んだことを思い出しなさい。」

キリストに対する忠実さのために代償があるのだ。そうだ、イエス・キリストにあって神に従って生きる者は皆迫害で苦しむだろう。(第Ⅱテモテ 3:12)

とても興味深いメモ:
エスが彼の公の教会で使われた最初の言葉は、バプテスマのヨハネと同じものだった。「悔い改めよ!」(マタイ4:17)(今日それはどの説教壇からもほとんど説かれることはなくなった。「力」のお陰である。)

(つづく)

原文はこちら↓
http://www.fmh-child.org/Force.html