天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

イエスが帰る時を知る者は誰もいない

ニカオさんが言っておられる「ラッパの祭り」、その他の祭りについて分かりにくかったので、この記事も訳して何のことを言っているのか確認してみました。古代イスラエルの習慣が残るこの日本でも、祝うべき7つの祭りが何処かで行われていそうですね。

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<イエスが帰る時を知る者は誰もいない>

この終わりの時の預言の欺瞞は、イエス・キリストについての彼の復帰についての言葉についてです。「しかし、その日は誰にもわからない」マタイ24:36

文字通り読むと、イエスがいつ帰るのかを知ろうとするのは異端だと、人々が思うのは当然でしょう。サタンはクリスチャンにそれを理解させたくないのです。皮肉なことにイエスは、その言葉を通して霊的に導かれた信者に、いつ帰るのかを伝えました。

何世紀にも渡って、クリスチャンは神に示された祭りについての教えから離れてしまい、イエスが再臨することに関して、それらの重要性を理解しないようになってしまいました。イエスは、「私が律法や預言者を滅ぼそうとしているとは思ってはならない。私は破壊するのではなく、成就するために来たのです。」(マタイ15:17)と言っています。

「祭り(祝宴)」という言葉は、へブル語の「約束」を意味する「モエド」という言葉から訳されました。
過越の祭は、その血がわたし達の罪のために流される、過越祭の子羊としてのメシアを指しました。
②種無しパン(種は聖書では罪を表す)の祭りは、メシアの罪のない人生を指し示していました。
③初穂の祭りは、救い主の最初の果実として、メシアの復活を指し示しました。 (汽灰螢鵐15:20)
ペンテコステの祭りは、イエスの弟子達に神の御霊を注ぎ出す神を表しました。
⑤ラッパの祭りは、イエスが彼の花嫁のために戻って来ることを表しています。
⑥贖罪の祭りは、キリストが彼の教会を裁くとき、ラッパの祭りの10日後に起こります。
⑦仮庵の祭りは、私達がイエスとの婚姻を祝う時、ラッパの祭りの15日後に行われます。

最初の4つの祭りの時は、神が預言されたことによって成就しました。

例えば、過越の祭りでは:
・神は犠牲の子羊に傷がないことを確認するために、数日間調べるように命じました。
・イエスユダヤ人の指導者ピラトとヘロデに調べられましたが、悪い所は見つかりませんでした。

・神はその羊を、過越しの祭の早朝に、神殿の中庭に連れて行くよう命じました。

・過越しの祭の早朝、イエスは神殿の中庭に連れて来られました。

・神は子羊を犠牲にする準備のために、午前9時に拘束するよう命じられました。

・イエスは午前9時に十字架につけられました。
・神は午後3時に祭司に子羊を捧げさせ、「それは終わった」と言わせました。
・イエスは午後3時に最後の息を吸い、「それは終わった」と言いました。

エスが主が命じた祭りを厳格に実行していることを、褒め称えて下さい。イエスが自分の預言の復帰に正確であることを知って、「聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみなが眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。」(汽灰螢鵐15:51-52)

「主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」(汽謄汽蹈縫4:16-17)

エスがラッパの祭りの間に戻るのは、非論理的でしょうか?それを検証するために、マタイ24:36でイエスが私達に言われたことを見てみましょう。

「しかし、その日と時間は誰にもわからない。天の天使達でさえもわからないが、私の父だけが知っている。」

彼は、特定の主の祭りについて言われる、ありふれたユダヤ人の表現を使用していました。本質的に彼は言っています、「私はラッパの祭りに来つつある!」と。

(当時のユダヤでは)婚姻はいつかと尋ねられたとき、この慣用表現は新郎によって使われていました。新郎は結婚する女性を見つけた後で、父の地所に着くでしょう。その地所はそれを造るのに、恐らく2年はかかっていたでしょう。新郎に、婚姻の部屋の準備が完了した、その時が来たと言うのは父の役目でした。

彼らは秋になると花嫁の所に戻って行きましたが、それは「帰還の時」として知られています。戦闘中の男達は、農民達と同様、王と共に帰還しました。このユダヤ人の慣用表現は、イエスがそれを使った数百年前のものと言われており、次のような意味でした。「婚姻の祝いの準備をして下さい、新郎に会うために家の外に呼ばれる準備をして下さい。」

私はこのユダヤ人の慣用表現が、私達のメシアがラッパの祭りで、彼の花嫁のために戻ることを表しているのを知っています。ラッパの祭りは、それがいつ起こるのか正確には知られなかった、唯一の祭りの日です。ラッパの祭りは、月の満ち欠けに基づくヘブライ暦の、ティシュリの月の初日に行われます。

新月は29.5日毎に発生するので、ラッパの祭りの開始日は毎年変わります。ユダヤ人の司祭は新月を確認するために、毎日空を観察しなければなりませんでした。月の照らされた部分は、だんだん見えなくなって行きます。それから「新月」が起こり、それから満月へ向かって行きます。イスラエルの祭司達は、それが正式に「新しい」と見なされるのは何時なのか、知る方法がありませんでした。

エスが言われたように、新月となる正確な瞬間は誰にも分かりませんでした。祭りを安全に行えるように、祭司は二日のうちの一日に新月が発生するという、二日間の行事にしました。なので、新月は、それらの日のうちの一日に起こっていると言えます。

クリスチャンが残りの3つの祭りを祝うべきであることは、理にかなっているでしょうか?イエスがラッパの祭りで戻って来るという説明が、聖書的ではないと思われますか?イエスがどんな日に戻るかと言っておられたかということを知るのは、異端ではないと思いませんか?私達はイエスの誕生と十字架と復活の死を祝っていますが、彼の花嫁への帰還を表す祝祭を、間違いなく祝うべきです。

贖罪の祭りはラッパの祭りの10日後に起こるので、私たちは断食をして祈るべきです。私達は純粋で聖なる、白い服を着ていることを知っています。仮庵の祭りはラッパの祭りの15日後に起こりますが、私達は永遠にイエスと共になる日を祝うべきです。ですので、婚姻の祝い(=仮庵の祭り)は、イエスが再び来られるまで起こらないことがわかります。

ゆえに、世界が大艱難を経験することが予想される7年の艱難の前に、クリスチャンが携挙されるという牧師達の教えは無効となります。

■No One Knows The Day And Hour Of Jesus Return からの訳です。
http://christianitybeliefs.org/end-times-deceptions/no-one-knows-the-day-and-hour-of-jesus-return/