リベラ博士はこう説明する。
彼がイエズス会の究極の誓いの下にあった時、ヴァチカンとアメリカ合衆国の間の政教条約を交わす準備として、エキュメニカル運動が見事プロテスタント信仰を駆追した時、世界中のイエズス会士に秘密のサインが与えられるであろうということを教えられたと。
これは1981年1月20日に起こった。大統領はこのことに気づいていたのだろうか?我々は分からない。
歴史上まさにこの時である。宇宙の創造主がこの惑星に来られるのに天国を後にし、ベツレヘムにお生まれになったのは…
聖霊なる神は処女マリアのところに臨まれ、彼女は身ごもった。神は肉体を纏い、赤ん坊としてこの地上にお生まれになった。
マリヤはこの途方もない奇跡の道具であった。
聖書は言っている「この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。」(ヨハネ1章10節)
しかしサタンは彼が誰であるかを知っており、怒り狂った。(ルカ4章41節)
地球は人間の魂をめぐっての、光と闇の凄まじい戦場となった。
サタンがこの計画を指示したのだが、失敗に終わった。これは預言の成就であった。(エレミヤ31章15節)
何故彼は神の子羊と呼んだのか?
イスラエル民族がエジプトの奴隷であり、エジプトの鞭の下でピラミッドの建造を行っていた時まで遡ろう。
モーセはファラオに彼の人々を行かせるように頼んだ。ファラオは拒否した!
それで神はその力を挫くため、エジプトに厄災を送られた。最後の災いは誰にとっても大打撃となるものであった…エジプトにあるどの家庭でも、長子は死ぬこととなったのだ。
長子が救われる唯一の方法は、子羊を殺し、その血を戸口の脇柱に塗ることだった。
破滅の使者が戸口の脇柱に塗られているその血を見ると、彼はその家の長子を殺すことなく通り過ぎるのである。
母親:「ああああ…息子が死んだ!私の息子が死んだ!」
主は個人の罪を覆うために1匹の子羊を犠牲にしなければならないと仰った。何世紀もの間、動物犠牲はユダヤの宗教儀式の一部であった。
聖書は言っている。血を流すことがなければ、罪の許し(罪や報いから自由になること)はない。(へブル人9章22節)
神は人が一度死ぬことと、死後裁かれることを、はっきりと定められた。(へブル9章27節)
書かれているように、正しい人は誰もいない。そうだ、一人もいない。(ローマ人3章10節)
(つづく)