天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

一匹羊を見守ってくれた人

弱いくせに一匹狼ならぬ一匹羊だった自分を見守ってくれた
宣教師の方がいます。

その人のことを考えて、自分の力や判断力だけでこの教会に
戻ってきたんじゃないんだ、と自分に言い聞かせることがあります。

その方はニュージーランド出身のPさんと言います。
高校1~2年生のときにPさんに初めて会ったのですが、英語クラスという
聖書を英語で学ぶクラスに誘われた時でした。

その人には先に母が会っていました。
母が私に英語を習わせたくて、その時家族で他の教会にも通っていましたが、
この宣教師のところなら行かせてもいいかもしれないと思ったそうです。
その時から今まで、Pさんが自分と自分の家族にずっと関わってくれるとは
思ってもみませんでした。

Pさんは当時ニヒルな感じで反応の悪かった自分に、忍耐づよく接してくれました。
家まで訪問してくれたり、電話をかけてくれたり、手紙を欠かさず書いてくれました。
Pさんが電話してくれるのをうるさいなあ、ほっといてよと思ったこともありました。
しかし、私の友人も含め、自分の周囲の人で、こんな誠実さを示してくれたのは
Pさん以外誰もいませんでした。

そんな誠実さを持って自分に関わってくれた人は、他の教会をたくさん見て
歩いた中でもやっぱりいませんでした。

Pさんは英語クラスでよく羊の話しをしてくれました。
羊の話しはよく覚えてないのですが、羊の話しをするPさんを見ているうちに
Pさんて何だか羊みたいだなあ…とよく心の中で考えていました。

この前の日曜日、礼拝の帰りに古くからいる信者さんと話している中で、
この集まりに来た人でも、つまづくものがあって出て行ってしまう人達もいるのよ、
出て行った人で戻ってくるケースはほとんどない、というお話を聞きました。
教会から出ていって、あちこち放浪して同じ所にまた戻ってくるのは非常に稀だと
お聞きしました。そういう場合は大変な思いをして戻ってくるみたいと。

まさに自分がそういう人間で、その信者さんに言わせれば、しなくてもいい苦労を
十数年間もしてきたのかもしれません。

私がこの教会に戻ってきて、誰よりも喜んでくれたのはPさんでした。
長い放浪の旅をして帰ってきた自分に、Pさんは
「いい経験をしてきたでしょう。」と言ってくれました。
Pさんは私が帰ってくるのを信じて、ずっと神様に祈っていてくれたのです!

後でPさんのお兄さんとお姉さんにも会ったのですが、
お姉さんには
「あなたのことはPからずっと手紙をもらって知っていた。
だから今日初めて会う気がしないの。」
と言われました。十数年間私のことを手紙でお兄さんとお姉さんに
報告していたらしいのです!
二人とも伝導師なのですが、Pさんと同じように素敵な人達でした。
会ったときすぐに、この人達は私の神の家族だと思いました。

私にとっても一つも無駄な経験はなく、教会に関して、信仰の色々な形に関して、
見聞を広めてこれたのは自分にとって非常に良かったことでした。

職場でも、人生の伴侶を探すときでも、同じことが言えると思います。
価値あるものは、非常に苦労してやっとつかみ取れるものなのかも知れません。

Pさんの陰の祈りがなければ、私は放浪したあげく何処にも所属する教会が見つからず
終わっていったのかもしれません。
私も周りの人にPさんのような忍耐と愛をもって接することができたらいいなあと思います。
偉ぶらず恩人ぶらず、友達のように接してくれるPさんは、
いつも変わらず私の信仰の大先輩です。