天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

天使のような人(5)

京都の話を持ち出すたびに、Kさんの顔は悲しそうに歪みました。

まるで別人になってしまったような、こんなに悲しそうな表情をする人は、

今まで会った人の中で見たことがありませんでした。

この2か月続いた内面の苦しみは、Kさんとの関係を断ってはいけないという

神様からの働きかけだと判断し、Kさんにそのことを伝えなくてはと思いました。

なかなか話し合いに応じようとしてくれないKさんでしたが、やっとの思いで会うことができました。

和歌山に来て新しい教会に行くようになってから、2回目の礼拝という早い時期で

Kさんと出会ったこと、その時に「この人を手伝ってあげなさい」と示されたこと、

ここ2か月間ずっと内面の迫りのようなものを感じており、とても苦しかったことなどを伝えました。

そして一度は京都に行くけれども、Kさんのお手伝いという課題があるので、

そのためにまた和歌山に戻ってくるということも、併せて伝えました。

そうしたらやっと胸がすーっとし、苦しかった思いが取れました。

このどうしようもない苦しい感じは、かつて行っていた教会で内面の罪を示され、

それがまるで心にガンと居座った大きな岩のように感じられ、

どこにそれを持って行ったらいいかわからず、教会の姉妹たちに祈ってもらっていた時と

同じような感覚でした。

このことがあってから、Kさんに対する私の思いもぐっと近くなったのを感じました。

せっかく両者の気持ちが近づきつつあったのに、離れてしまうことになり、

最後の別れは辛いものになりました。

こういう顛末があって現在、再び和歌山で天使のようなKさんと共に過ごせることを夢見つつ、

京都での新しい生活をスタートさせることになったというわけです。

しかしここで京都に回り道するとはなあ。すごい展開だよなあ。

本当に和歌山に自分が戻れるのか疑問なのですが、

それよりもこんな気持ちを抱えながら、京都でちゃんとやっていけるのか。

教会の姉妹達がよく「神様にお委ねするのよ。」

と合言葉のようにして言うのを聞いてきましたが、

それってどういうことなのだろう、口先だけで言ってるのとちゃいますか、

と思ったこともありましたが、自分の場合そうせざるを得ないような状況に

自分を追い込んでいるので、理屈抜きで実際にお委ねするしかありません。

家庭の主婦になると目標を立ててから20数年。

真逆の方向に向かって突っ走っております。

(おわり)