京都の話を持ち出すたびに、Kさんの顔は悲しそうに歪みました。
まるで別人になってしまったような、こんなに悲しそうな表情をする人は、
今まで会った人の中で見たことがありませんでした。
この2か月続いた内面の苦しみは、Kさんとの関係を断ってはいけないという
神様からの働きかけだと判断し、Kさんにそのことを伝えなくてはと思いました。
なかなか話し合いに応じようとしてくれないKさんでしたが、やっとの思いで会うことができました。
和歌山に来て新しい教会に行くようになってから、2回目の礼拝という早い時期で
Kさんと出会ったこと、その時に「この人を手伝ってあげなさい」と示されたこと、
ここ2か月間ずっと内面の迫りのようなものを感じており、とても苦しかったことなどを伝えました。
そして一度は京都に行くけれども、Kさんのお手伝いという課題があるので、
そのためにまた和歌山に戻ってくるということも、併せて伝えました。
そうしたらやっと胸がすーっとし、苦しかった思いが取れました。
このどうしようもない苦しい感じは、かつて行っていた教会で内面の罪を示され、
それがまるで心にガンと居座った大きな岩のように感じられ、
どこにそれを持って行ったらいいかわからず、教会の姉妹たちに祈ってもらっていた時と
同じような感覚でした。
このことがあってから、Kさんに対する私の思いもぐっと近くなったのを感じました。
せっかく両者の気持ちが近づきつつあったのに、離れてしまうことになり、
最後の別れは辛いものになりました。
こういう顛末があって現在、再び和歌山で天使のようなKさんと共に過ごせることを夢見つつ、
京都での新しい生活をスタートさせることになったというわけです。
しかしここで京都に回り道するとはなあ。すごい展開だよなあ。
本当に和歌山に自分が戻れるのか疑問なのですが、
それよりもこんな気持ちを抱えながら、京都でちゃんとやっていけるのか。
教会の姉妹達がよく「神様にお委ねするのよ。」
と合言葉のようにして言うのを聞いてきましたが、
それってどういうことなのだろう、口先だけで言ってるのとちゃいますか、
と思ったこともありましたが、自分の場合そうせざるを得ないような状況に
自分を追い込んでいるので、理屈抜きで実際にお委ねするしかありません。
家庭の主婦になると目標を立ててから20数年。
真逆の方向に向かって突っ走っております。
(おわり)