天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

本当の教会を探している方に(私の経験から)

聖書にも書いてあるとおり、本当の教会は目に見える形で存在するのではないと思います。

私の経験では、まずクリスチャンに会うと「この人は神の家族だ」という直感があります。
魂がその人とつながっているという感覚があるのです。
目に見える「教会」の中にいる人が、誰でも神の家族だということではなく、
正しい霊によって導かれている人…この神の家族のつながりが、神様の目からご覧になって
本当の教会を形成しているのだと思います。

本当のクリスチャンが集まる所(教会)はこの世で最も天国に近い場所ではないでしょうか。
心におごりを持たず、平和で協力的な雰囲気があり、安心感が常にその場所にあります。
その人達がイエス様を主としているからだと思います。

人間の作る「教会」には自己推薦の職業牧師、宗教活動が好きな人、知らず知らず悪い霊に
引かれていってしまう人…なども含まれています。
この人達は教会の内部をかき乱してしまうことでしょう。
しかしこれは避けようがありません。

目に見える教会では、どんな人が導いているかは非常に大切な点だと思います。
神様は真心を持っている方を、牧師や伝導師として召し出されると思います。
その方が神様から推薦され、正しい霊をもって私達を導いてくださる方かどうかは、
生活態度や語る言葉そのものによって、私達自身で判断しなければなりません。
でもそのような方はきっとイエス様に似ている人ではないでしょうか。

私の経験でいえば、実際にはその人の教えがどうのこうの以前に、その人が温かさと清さと
光りを持っているか、謙虚な人柄であるか、場所で言えば明るく清浄で静かな雰囲気を
感じられるかなどを直感で判断してきたように思います。
それを後から知性によって裏づけしてきました。

聖書を学問的に解釈しようとしたり、神学を専門に勉強する方は、学問が好きなのであって、
真心から神様の道を歩もうとしているのか疑問に思うことがよくあります。
そういう方は羊飼いとして相応しくないと思います。

また、その牧師が人間の感心を買おうとしているのか、神様の御心を伝えようとしているのか
見極める必要があると思います。
人間の魂のことを第一に考えないで、教会をいかに大きくするかとか、
新会堂の建て替えをさかんに吹聴するとか、イベントを毎回開催するとか、
ムーブメントのようなものに乗っかっているような教会は、まず的が外れていると考えてよいでしょう。

でも、悲しいかな現在日本の教会のほとんどがこれに当てはまっていると思います。

私の場合、このような教会に通っていたときは、一時的には華やかさや勢いを感じていても、
だんだんと疲れを生じ、よけい魂の渇きを感じてしまいました。
それはそれで人間的な切磋琢磨を積む上で役に立つのかもしれませんが、
そのようなことは社会に任せておけばよい、と私は思っていました。

また、自分が一体何を求めているかで、自分が願う「本当の教会」像も違ってくるのでは
ないかと思います。

ゴスペル活動のような神様にまつわる具体的な活動をしたい人は、そのような教会を
求めていくでしょう。
また霊的な現象に関心のある人は、そのような現象が出現する教会に導かれるでしょう。
実績を積み上げてきた有名で力のある牧師が好きな人は、そのような牧師のいる教会に
行きたいと思うでしょう。
本当は神様の御心は一つで、自分勝手に求めるものではないのだと思いますが…。

もし本当の魂の糧を得たい、本当の救いが欲しいと願っている人ならば、
必ずそのような教会に導かれると思います。
ただ私やこの前書いたIさんのように、1度で与えられるのではなく、
自分の魂の成長度合いとともに、紆余曲折を経て与えられる場合もあると思います。

人間は形あるものを求めてしまいがちですが、本当の教会はやはり目に見えない形で
あるのだと思います。
目に見える教会で完璧なものはないのかもしれませんが、
現実的にクリスチャン同志の集りを見つけ、教えられたり励まされたりする必要があると思います。

そこで最低限、羊は神様から遣わされた羊飼いに正しく導かれる必要があると思います。
本当の教会を見つけるために、まずその方を探すことから始められては如何でしょうか。
(分かりにくければまた後で書こうと思います)