天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

あけましておめでとうございます

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        「くにたみはひとつ心にまもりけり 遠つみおやの神のおしへを 」(明治天皇

あけましておめでとうございます。

この不思議な日記めいたものも12年目に突入しました。

霊的な備忘録のような、ほとんど趣味と化した陰謀論研究のような・・・

感謝なことに読んで下さる方がいるので、細々と続いているということもあります。

12年も経つとすっかり加齢が進み、元々そんなになかった勢いも衰え、

誰も聞きたくもない体調の悪い話が増え、いつ店じまいしてもおかしくない状態ではあります。

何せ編集方針ができるだけ面白くということなので、神の名を標榜しておいて

変なこと書いて読んだ方に悪影響がないかと時々心配になりますが、

そこら辺は神様に調整して頂いて、何かが途絶えるまでやっていけたらと思います。

年末年始は大阪、東京方面へと、正月休みを利用して叔母と父の所に行って来ました。

1月1日の元日、新幹線に乗って、上から見下ろす形で民家の屋根を見ていると、

自然に上の明治天皇の御製が頭に思い浮かびました。

そして静岡方面にさしかかった時、ニョッと富士山が現れました。

思わず携帯で撮ったのが上の写真です。(電線が残念!)

「今年は日本人にとってどんな年となるだろう」と思っていたのですが、

見事な日本晴れの富士山を見た時、単純に「何かいいことが起こる!」と思ってしまいました。

ここ相模湾一帯は、かつて徐福が大船団を引き連れて入植した地域です。

徐福の名前はジョフ=ヨセフとも発音され、ユダヤ系(古代イスラエル?)の流れを引く

人物だったという説があります。

日本人がかつて唯一神にひかれてこの国に入り、それから国づくりを始めたと自分は

信じているのですが、その記憶がはっきりと呼び覚まされて、ますます日本人の心が

本当の神様に向けて一致団結したら素晴らしいなあと思うのでした。

ところで大阪の叔母の所に行った時、前から霊的なことを話したいと思っていた

従弟がやって来て、古代イスラエルの話や信仰のことなど、結構突っ込んだ話ができました。

従弟は叔母の息子さんで、叔母の気質を受け継いでか、熱い魂の持ち主なのです。

(ただしクリスチャンにはなりたくない)

神輿を見たら担ぎたくなる、ロックコンサートに行ったら最前列でダイブするようなタイプの人なのです。

叔母はそんな息子のために、信仰が持てるように陰でずっと祈ってきたようです。

ところで今年、日ユ同祖論で神の山として有名な守屋山(もりやさん)に登りたいと

思っているのですが、その従弟は長野県に住んでおり、登山のついでに彼の所に訪問する約束も

取りつけることができました。

その後、関東方面で独居している父にも会いに行きました。

この父は「神を信じると自分の自由がなくなる」と言って、

私の祖母からも「あの人は信仰なんて持てない」と断言されてしまう人でした。

エス様を信じる私の母もいつも祈っていましたが、手ごたえを感じることがありませんでした。

今回私が訪問するにあたって、「元日礼拝があるから一緒に行こう」と

わざわざ父の方から教会に行こうと誘ってきたのです。

実はここ最近、父は一人で教会に月に2回ほど通うようになっていました。

父と母は私が中学生の時に離婚してしまったのですが、父の救いのために子どもの時から

神様に祈ってきました。ですがそんなに簡単に人の心は変わりません。(変わる人もたまにいるけど)

断続的に祈り続けること30年。やっと時が満ちてきたのでしょうか。

父の心が変化を起こしてきているのが分かりました。

父は周りの支えてくれる人皆に感謝し、さかんに自分が住む地域にお返ししたいと言っていました。

今回この二人に会ってみて気づいたことが、両者とも自分の周りの人を、

「あいつはいいやつだ」「こういう所がいい」と連発しており、

自分の周りの人が持っている徳をさかんに誉めていました。

従弟は自分の母を、「周りを見てきたがおかんみたいな人はなかなかおらん。筋が通っている。」

「やる時はやる。」とさかんに誉めていました。

そして自分もそうなりたいと願っているように見えました。

「私を信じる者はみな、御霊の実(みたまのみ)を実らせることに集中する」

みたいな預言を聞いたことがありますが、この二人を見た時、

無意識に徳を実らせることに集中していると思いました。

従弟はクリスチャンにはならないと言ってはいるものの、私の話に興味津々の様子で、

もっと聞きたいというような素振りをしていました。

以前、父に古代イスラエルと日本の関係の話をしたことがあったのですが、

何と老人会のあいさつでそれを皆に言ったそうです。(父は地域の老人会の会長をしている)

「たまにあいさつする時に信仰のことが出てくるんだよ。」

と言って、父は何か資料があったら教えてくれ、また老人会で話そうかなと言っていました。

叔母と母と私が、それぞれのために神様を通して祈ってきたことが、

神様の働きかけにより、何かの形となって実ってきたのでしょうか。

それとも両者とも元々そのような気質を持っていたのでしょうか。

この二人は聖書の神は信じていないが、善良な日本人を代表するような人達だと自分には思えます。

明治天皇の歌に戻りますが、日本人の気質の中には既に聖書の神の教えが組み込まれている

ということを、明治天皇は見て取って感動して、この歌を作ったのではないかと思います。

明治天皇は聖書信仰を持っていたと言われている)

もともと潜在的に神の気質を持っている日本人が、唯一まことの神様とイエス・キリスト

目覚めたら、きっとこの国に素晴らしい変化が起きて来るんじゃないかと思います。

そんな一年になればいいなと、年頭の所感を書いてみました。

何とかまとまった・・・