天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

原因は自分

罪あらば我を咎め天津神
民は我が身の生みし子なれば     (明治天皇


その原因はわたしの中にあるのではなかろうか。
腐敗と敗北の原因はわれらの中にあるのではなかろうか。

ああ、主よ、原因はわたしの中にあるのではなかろうか。

神が祝福をひきとめておられる原因は、われらの中に自我があり、障害があるからである。
ああ、主よ、その障害はわたしの中にあるのではなかろうか。
主よ、わたしの中にそれがあるのではなかろうか。
                                                                                        (「リバイバルの障害」 レナード・ラーベンヒル


もし人が神様と共に歩んでおり、やましい心が何もなければ、
神様みたいに勇猛果敢になれるのかもしれないと思います。

自分に思わしくない状況のとき、人は自分以外の何かに原因を求めようとしがちだけれど、
結局自分がその根源になっているんじゃないかと思うことも、しばしばあります。

全知全能だと言われる神様の御力が、自分を通して働かないのは、
結局自分が神様の力を働かせないように、押し留めているからなんだよなあと思います。

聖書に書いてある通りのことを自分が実行しないから、神様の約束が発動されないだけで、
すでに心の奥底ではそのことがよく分かっているような。

結局神様が悪いんじゃなくて、自分の怠惰と不信仰さのせいなんでしょう。