天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

明治天皇のこと(2)(ダビデの末裔?)

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「国のため いのちをすてし もののふの 魂や鏡に いまうつるらむ」(明治天皇御製)


明治天皇は生涯に10万首もの歌を詠んだそうです。

前に2万首と書いたのですが、10万首の誤りでした。

これってすごくないですか?

明治天皇は和歌の天才だったということですが、それを知って、

すぐダビデのことを思い出しました。

ダビデも戦士だったと同時に、詩歌にすぐれた人でした。

ところで、以前鴨志田恒世さんの記事の中で紹介した、

「四方の国皆はらからと思う世に、など波風の立ち騒ぐらん」

の歌ですが、これを読むと、明治天皇が止むにやまれぬ気持ちから、

戦争に踏み切ったことが伝わってきます。

ダビデは勇敢な人でしたが、別に好き好んで戦争していたわけではなかったようです。

詩編を読むと、「戦いたくないよ~」「悲しいよ~」という気持ちが伝わってきます。

敵が周りを囲むから、戦わざるを得ない状況だったのでしょう。

明治天皇は、全世界の国々は皆友であるとの感を得ていたのに、

欲が深い欧米列強はそう甘くはありませんでした。

明治天皇に限らず、今でも大方の日本人は、

何となく世界中の人が友だと考えているかもしれません。

平和ボケしてお気楽だな、と周辺諸国から笑われているかもしれないとも思いますが、

神様の目から見て、どちらが尊い考え方をしているのでしょう。

上の歌は、戦時下にあって命を落とした兵士達の魂に思いをはせて、

読まれたものだそうです。

http://kokubunken.or.jp/kokumindouhou/638.html#04

この歌を読んだ時なぜか涙が出ましたよ。

兵士の魂が、靖国神社に据えてある鏡に「移る」という意味も掛けているようですが、

その人の魂が鏡に映るということは、国のために己を捨てるという、

神様の御前に出ても恥じない、尊い働きをした魂なのだ、

という感動が込められていると思います。

どうやら靖国神社には、我々が思うよりも、亡くなった兵士達に対する、

明治天皇の特別な思いが込められているみたいです。

靖国神社のことも見直さなきゃいけないと思いました。

ちなみに、今の日本で身を粉にして働いておられるサラリーマンも、

ここで歌われているもののふの姿と同じだなと思えました。

ところでダビデは一人で戦っていたわけではありませんでした。

きら星のごとく、名だたる勇者が彼のもとに集まってきて、彼を支えてくれていました。

いい男の周りにはいい男が集まる。

明治天皇の周りも同じだったようです。

明治天皇のことを眺めると興味深くて、このような人が世に出るべくして出てきたのは、

神様の采配によるものだとしか思えなくなってきます。

日ユ同祖論的に言うなら、天皇ダビデの末裔であるはずです。

神様はダビデの子孫を絶やさない、という約束をして下さっており、

世界の中で一番それに近いシステムを保っているのは、今のところ日本だけみたいです。

明治憲法の「天皇万世一系にして~」という言葉も、最初は遠い世界の夢物語みたいに

思っていましたが、明治天皇の姿を知るにつれ、信じてみたくもなってきました。

(つづく)