天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

悪霊化を防ぐために(1)

今日も朝から神様に滅茶苦茶叫びまくってしまいました。

今回もメールを連打しているうちにスーッと何かが収まっていくのを感じ、

破滅的な状態は何とか免れました。

今月は大変な月だった・・・本当に体も心も弱い人間は大変です。

そういえば昨日、会社の用事でイオンモール内にある、

とある場所へ行くことになりました。

混んでいる立体駐車場の駐車スペースに、なんとか停めようと

悪戦苦闘していると、絶妙なタイミングでレディースっぽい女性がやってきて、

「ここはこうして、こうハンドル切って。そうそう。そのまま。」

と親切に、しかもとても上手に指導してくれ、すんなり停めることができました。

彼女こそ神の使い。

ヤンキーっぽい方(失礼)は面倒見がいい方が多いですね。

その人が現れなければ、とち狂って車をぶつけていたかもしれません。

関係ない話題から始まってしまいましたが、タイトルの話に戻って、

大学の卒論(19世紀後半のイギリスのオカルトブームについて調べていた)を

書いているあたりから、自分は霊のことに関する話に関心があるのだ

ということに気づいて以来、少しづつそれを自分の利点と考えるようにしました。

霊的なものに注目するようになると、いきおい人の霊的な状態まで見えてきて、

あの人のもこの人のも気になり、しまいに自分の中でそれらの情報が

パンパンになってしまうことがありました。

(肝心の仕事よりもそっちの方が気になる!)

当初は気が狂いそうでしたが、今は少しコントロールがつくようになってきて、

ある人の状態が気になると、そのことに関して祈ったりするようにもなりました。

地獄の本を読んでいて、地獄の住人が

「誰も自分の魂のことなんて気にしてくれないんですよ。」

と言っているシーンがありましたが、自分の場合いつもその人の魂の

状態を考えてしまう癖があると思いました。

エス様は誰が天に上るか、誰が地に下るか考えるなと仰っていますが、

どうしても気になってしまいます。

人間は霊的な存在ということを知っている人は、生きている間に

自分の魂をできるだけよく磨いておいて、死に臨むということを意識する

ようになる(?)と思いますが、そうでない人は漠然と死ぬまで生きる

ことになるのかもしれません。

そういう人でも内なる神の声に無意識に従っているならば、

自然と神様の元にたどり着くことになるのかもしれませんが。

でも、現実はそうでない人の方が多いのだと思います。

天国に入れる人よりも、地獄(または黄泉のような場所)に行ってしまう人の方が

多いと聖書にも書いてあります。

ここから怖い話になるのですが、京都にいる私の所に時々遊びに来る母が、

こんな体験をしました。

夜寝ている時に、私の部屋に蜘蛛のお化けと青い光2体がいるのを見たそうです。

母は恐怖にかられ、布団をひっかぶって見ないようにしたそうです。

その時私はぐうぐう寝ていたそうです。

そのことがあったずっと後に、私に教えてくれました。

「神に守られているんじゃなかったのか(怒)!!」

と思わず思ってしまいましたが、ボーとしているうちに

侵入されてしまったのか、神様とつながっているとばかり思っていて、

実は神様と自分の霊線は、既に切れてしまっているんじゃないかと思いました。

ところで、京都がある種の巨大な霊場だということは薄々感じていました。

なぜかというと、街のど真ん中にある家で、甲冑を着た血だらけの

兵士の霊がいるのを目撃した人がいたり、私の会社でも仕事中

「そこに女の子の霊がいます。」

と言う人がいたり、そういう話がわりとあるのです。

さすが千年を超える都。

また、家の隅に塩を盛っている家が多かったり、魔除けの南天

植えている家がとても多かったり。

なんと言っても寺の数が多くあるということは、

すなわち偶像のメッカだということです。

偶像はどうして作ったらいけないか知っているでしょうか?

神様が激怒されるという理由の他に、人や動物の形をしたものに

さまよう霊が入り込みやすいのだそうです。

私の所にやって来た霊はいったい何処から来たのだろう、と考えました。

(つづく)