カオスにカオスを重ね、ここまで転がって参りました。
一つ問題が勃発すると、ガーッとすぐ寝込んでしまうのです。
そんなんで寝込みがちな毎日が続いていました。
神様に何回助けられても、今一神様を信頼していない自分て何なんだ。
そんな半分信じてるんだか信じていないんだかの状態で、神様に祈ったことがありました。
実は先日その答えをはっきりとこの目と感触で確認できたんです。
その祈りというかぼやきの内容は、いつものように神様に宛てたメールに書き付けてありました。
ある人の霊的な状態について懸念があります、
その人と会うといつも変な圧迫感を感じます、何か異なる霊を持っているんでしょうか?
と今年の3月に二回書いていました。
気をそらそうとしても、どうしてもそう感じるので、神様に申し上げた次第です。
神様に祈った内容を皆に知らせていいのか?
もうちょっと言えば、自分は毎日職場に出勤するのが辛く、
まるで13階段を昇らせられて首を切られに行く感覚を味わっています、
その苦しみと引き換えに、その人に悪い霊が付着しているのなら、
どうぞお取り払い下さい、とお願いしていました。
根本的に何かが腐れている自分とは裏腹に、神様は約束を守られるお方です。
その人に久しぶりに会った感触からすると、まさしくその付着物は取れ、
どうしようもなく感じていた圧迫感は消えていました。
その人本来の素晴らしさが、パァーっと表に現れ出た感じでした。
陰険な眼差しも(失礼!)消え、美しい瞳の輝きに戻っていました。ハレルヤ。
神様は物質的なことを求めるよりも、霊とか魂について祈る時、
鮮やかに聞いて下さるということを今回も体験できました。
人はその変な付着物を付けたままで、神の国に入れるのか?というのが疑問です。
変な付着物(悪霊)に気づいた場合、気づいた人が祈るということが必要なんじゃないか、
クリスチャンがお互い祈り合うというのはこういうことを言うんじゃないか、と感じた次第です。
自分も自分で気づかない付着物を付けているのかもしれません。
何かに気づいた方、どうぞこの哀れなlostsheepのためにもお祈り下さい。