天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

クリスチャンに働く悪霊

こちらも以前から気になっていることの考察です。

昔デイビーさんという人に与えられた預言に、「クリスチャンに働く悪霊に注意せよ」「悪霊は噛み付くもの」という言葉がありました。「携挙は偽の教え」という言葉も、この方が与えられた一連の預言の一つです(実際はもっと長かったが紛失してしまった。これは暗記していた言葉の一部分)。もしこれが本当の神様からの言葉でないのなら、神を騙る悪霊からの預言ということになると思いますが、自分はこれらの言葉が神様からの預言と感じ、ずっと心の内に留めていました。

どうも自分は霊の見分けが専門(?)らしく、このようなことに関していつも関心があります。と言っても、幽霊とか悪霊や天使の姿を見れる訳ではなく、清いもの、清くないものを感じ分けるといった程度です。

経験のあるクリスチャンの人も多いと思いますが、「この人クリスチャンかも?」と思う人は、大抵そうだったりします。後ろ姿を見ただけでもそれが分かったりします。清さが背中から吹き出ているというか。この人は家族を大切にしているだろうとか。これは超能力の一種でしょうか(笑)きっと聖霊を受けている人なら程度の差はあれ、皆そういう所があると思います。

今回これを書こうと思ったのは、自分の受けた霊的体験やビジョンや夢を、携挙に結び付けているクリスチャンが多くいるのを見たからです。これは日本に限ったことでなく、海外でも、「何年何月にそれが起こると示された!」「天に浮き上がる夢を見た!」と言っている人が何人もいるようです。実は自分も空から不穏なことがやって来る夢を何度か見ています。

教会で将来携挙があるという教えを受け、それを裏付けるかのような、世界規模で同時に発生しているこの現象を、全て神からのインスピレーションだ!と思ってしまうのも無理ありません。しかもヨエル書にはそれを裏付けるような、「私は終わりの日には全ての人に私の霊を注ぐ‥云々」という言葉もあるから尚更です。

これらのビジョンや夢には、3つの可能性があって、

①本当の神様から来ている(将来艱難がやってくるという警告)

②サタン的な力によってもたらされたもの

③自分が作り出したもの

と考えられ、これらが絶えず交差しているのだと思います。中でも天に引き上げられるというビジョンを示されたのならば、もし携挙がないということであれば、これは完全に敵陣営由来のものでしょう。しかし、熱狂の中にある人たちは、もう冷静にこのことを判断することはできなくなっていると思います。

本当は彼らに示された「ビジョン」なるものがどこからやってきたのか、五感+第六感+思考力+知識を駆使して見分けていく必要があるのですが、このような現象に着目するクリスチャンは、そういったプロセスをすっ飛ばして、無分別にこれらのことを受け入れてしまう傾向にあるようです。清いはずの自分や教会が、悪しき者の影響を受けるはずはないという思い込みもあると思います。

もし本当に携挙があるのなら、神様はこのような大事なことを、預言者を通し、事前に警告されない筈がありません。自分が日本の本当の預言者だと思っている、海南島のヨハネさんやエリエナイさんの両者とも、この先携挙があるとは一言も言っておられません。

しかし、イエス様登場以後は預言はもう終わったとか、預言者はもういないとかの誤った認識もあるので、このことを理解する以前に、何重もの鍵がかけられてしまっています。

クリスチャンが騙される一方で、社会で長いこと揉まれてきた普通の人々は、魂(霊性)や眼力が宗教の世界で生きてきた人達より磨かれている場合が多く、いとも簡単にこのようなことを見分けてしまいます。ここに、温室で育った人間と、野で転げて生きてきた人の違いを見ます。

クリスチャンとの関わりで、今まで「この人悪霊が憑いている‥‥」とはっきり思った人は、牧師や伝道の働きをしている人や信者さんも含めて、8、9人ほどいました(自分を含めグレーゾーンは沢山いる)。皆能力が高く、力ある人ばかりです。恐らく、彼らの熱心さと能力の高さが悪霊の気を引き、神の清い働きを封じ、周りのクリスチャンに影響を及ぼそうと、隙を見て入り込むのだと思います。神の働きをする人は悪魔に狙われやすいというのは本当です。

分かりやすい特徴としては、まず眼に出ますね。清らかな目の輝きが失われ、濁りを生じます。顔色がどす黒く変わったり、青白くなったり、声に歪みが生じたりして、聞いていると嫌な感じがしてきます。受けた霊の特徴が外面にも現れてくるのでしょうか。

ある人の例で言うと、若い頃の写真の顔は目が澄んでいて清い雰囲気が漂っていたのに、ある時点から目が釣り上がり、輝きも失われて、赤い焔が顔から立ち上っているような、般若のようなものすごい顔つきに変わっているのを見ました。その人の近くにいるだけで、自分の内側にものすごい圧迫感がありました。

はっきりとこの人に、力の強い異なる霊が入り込んでいるのを感じました。あまりにも違和感と圧迫感を感じるので、苦しみながら神様にこの人物の悪霊を祓って下さるように祈ったほどでした(後日その人に会うと強い圧迫感が消えて、普通の顔つきになっていた)。この人は霊的体験もし、異言も操ることができましたが、霊的感能力の高い人は、悪霊に対しても高い感能力を示すことが分かりました。この人は悪霊が入り込んでいる状態で、力強い伝道の働きもやってのける程のクリスチャンでした。

別の人の例でいうと、教会で執事のような働きをしている人が、ある時目つきが死んだ魚のように変わってしまったことがありました。この人もまた、家で家庭集会を開いたり、教会の奉仕を何年も忠実にされるくらい信仰熱心で、家ではいつも讃美歌を流しているような人でした。聞くところによると、ある時から「エリヤハウス」という所に通い出し、個人的に癒しや預言をしてもらったり、カウンセリングをしてもらったりしていたそうです。やがて自らもその働きに参加するようになったとのことです。これを聞いて、彼女はここから変な霊をもらったなと思いました。

イグナチウス・ロヨラや、マザー・テレサ、その他の新興宗教の力ある教祖というのは、例外なく強力な霊的体験をしています。しかし、彼らの働きの結果を見、人物の来歴を知ると、その強力な霊体験というのは悪霊からもたらされたものだと判断せざるを得ません。困ったことに、このような人たちは、この体験を真の神から来たと強力に思い込んでいるのです。

自分で自分のことを神審(さにわ)できる人であれば、それに気づいて心を焼き、神に清めを願えると思うのですが、いかんせん、皆自分が悪霊に入り込まれていることに気づかないのです。人間の体は色々な器官からできているので、入り込む隙間が色々あるのだと思います。憑依の段階も人それぞれです。もしかしたら、このようなことを書いている自分も、気づかないだけで、どこかに穢れた霊を同居させているかもしれません。我々は思っている以上に清くないものです。