天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

祈りの形

師匠から鬼のような時期に鬼のような宿題を出され、

ここ2週間近くそれと格闘していました。

先ほどやっと解放され、うれしくなってこれを書いています。

このことについては後日ご報告できるでしょう。

先週畠田先生が祈りについて分かりやすくお話しされていました。
https://www.youtube.com/watch?v=khLeVYPCMyg

いったい皆どんなことして祈っているのかな、とよく思いますが、

このように赤裸々に話してくれるとよく分かります。

太古の人間達は今よりももっともっと神様と距離が近く、

お互いいつも親しく話していたんだろうなあと思います。

すっかり人間の方の感度が悪くなってしまった(?)ために、

神様に近づこうとして、こうして皆苦労しているのだと思います。

自分の経験から言うと、普段から祈っている(神様に語りかけている?)と

ストレスが激減すると思います。

たぶん神様を信じていない人達は、何か起こると人間同志の思念の世界で

悶々と悪い気を飛ばし合っているのではなかろうか。

それが神様を信じて、神様を対象に自分の気持ちを伝えるようにすると、

気が上にあがっていくというか、昇華されるというか。

人生の問題をあまり人に相談しないから、

不思議な水臭い奴と思われているかもしれません。

でもこの方法で生きてこれました。

祈りの形はいろいろあって、最高の祈りは自分の身を犠牲にしてまで

人のために祈ることなのではないかと思います。

いつも思い出すのが、祖母のエピソードで、

自分の子どもの100日咳が治らなく、

夜な夜なお寺(神社?)に行って水ごおりを取り、祈ったという話しです。

自分の真剣さを神様に伝えるために、この方法を取ったのだと思いますが、

子供ながらこの話を聞いて、鬼気迫るこの祈りこそ、

人がなしうる最高の祈りの形だと思いました。

別にキリストの神様宛に祈らなくても、これは真の神様に必ず届くだろうと。

父親は一体こんなことできるでしょうか。

もちろん子どもは健康を回復しました。

(ちなみに祖母は最後に神様を信じました。)

別の時に師匠が話していて面白いなと思ったのが、

稲刈りをしていて炎に包まれた時のエピソードです。

これ前に書きましたっけ?

突風が吹き、たき火の火が藁に燃え移り、

気づくと炎に一人囲まれていたそうです。

助ける者も誰もなく、絶対絶命となったその時、

「ムン!」と腹の底から唸ったそうです。

すると、なんとザッっと一気に風向きが変わり、

九死に一生を得たそうです。

まるでヤマトタケルノミコトみたいじゃありません?

先生は聖霊のうめきが神様に直で

伝わったのではなかろうかと仰っていました。

これもまた鋭い祈りの形ですよね。