天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

祈り実験

更年期症状だかPMDDだか貧血なんだか分かりませんが、この2週間バイオリズムが乱れまくりです。このぐちゃぐちゃ感分かります?苦しむことが人生の仕事の一つだと認識してからは、変に悲観的にならないで、笑い飛ばせるようにもなりましたが。昨日は頭がボーっとして仕事でありえないミスを4連発も犯し、さすがにへこみました。

一般的な教会生活をしておらず、伝道も大したしていないので、何か手持ち無沙汰であり、無理矢理自分に役割を与えてみることにしました。そうだ、岸田総理大臣のために祈ろう、と思いついてから3週間。飽きやすさ瞬間風速級の自分としては、よくやっている方だと思います。祈りは神様を信じる者の仕事の一つだと思っているのですが、祈りの賜物がない自分としては苦手な分野です。

神様は今回よい人を総理大臣にして下さったという思いがあるのですが、祈っていると、不思議と岸田総理を取り巻く動きについて、関心を持つようになりました。元々政治経済の話が大嫌いで、選挙にも関心が薄かったのですが、今回の衆院選では珍しく各党の得票数を注視したりしていました。新聞の論調にも注意を払って読んでいたり、狡猾な外国との外交で上手く交渉できるようにと願ったり、果ては顔色が悪いが総理の健康は大丈夫かと気にしたり、気づけば意外な行動に出ています。第一印象で人相の悪い御仁だと、マイナスイメージを抱いていたのとえらい違い(笑)。祈ると対象への関心が深まるのですね。勝手に国政に参加している気になってきます。

信仰は自分の感情とは関係ないと聞いているので、祈りたくない時は、凍りついた心のまま事務的に祈ることにしました。ある人の証を読むと、教会の老婦人が教会員の車の運転が安全に守られるように、ノートに書いて毎日祈っていたら、祈られた側は本当に不思議な方法で守られ続けたそうです。その婦人が亡くなってから、そのノートが発見されて祈っていたことが分かったそうです。それを読んで、毎日祈り続けることに意義があるように思いました。

何でも分かっておられる神様に向かって、何故改めて祈る必要があるのかという疑問が湧くと思いますが、恐らく神様は人間界に介入する時は、人間の自由意志によって「助けて下さい」という要請があって、初めて動くことができるという霊的法則があるのだと思います。神様はいつも人間を助けたいと思っておられるので、我々の祈りを待っておられるのだと思います。

リアルでは人に「祈ってますよ」と絶対言いたくない(言うと気が抜けて実行したくなくなる)質なのですが、何故ここにこのようなことを書くのかというと、自分を追い込んで責任を持たせるためでもあります。アンドリュー・マーレーという人の本の中に、「主が聞いて下さったことが分かるように、祈ったことをいちいち書付けておくがよい」とあったのに倣い、神様に対して自分が何を祈ったか、分かるように記録しておくためでもあります。祈りの内容を後から見ると結構面白くて、神様が本当に反応して下さったことが分かると手応えを感じ、嬉しくなります。

今4種類ほど大きな祈りの課題を走らせていますが、目下最大の課題は12月のワクチン接種です。海外ではワクチン強制化によって、デモやクーデターが起きている所もあるようです。日本も不誠実な白人製薬企業の作る、治験も完了していない成分不透明なワクチンを打つことを、決して強制化してはなりません。ファイザーやモデルナなどの企業がいかに悪徳であり、犯罪的なことをやっているかが日本人全体に知れ渡り、3回目のワクチン接種の機運が阻止されるようにと祈っているのですが、本当にそうなったらすごくないですか?日本に数人だけそのように祈る人がいれば、神様は必ず聞いて下さるはずだ、大丈夫だと思っているのですが、甘いでしょうか。壮大な祈りの実験です。