天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

とんだスピリチュアルジャーニー(1)

私の職場では障害を持つ方とともに作った商品を、

バザーに売りに行くという活動をしています。

そのピークが毎年9月~11月に来るのです。

ある時はバザーの売り子、ある時は障害者の支援者(本当はこれがメイン)、

ある時はクラフト職人、ある時は喫茶店業務、ある時は書類作成、・・・

実際に現場に放り込まれたことのない、社会的に余裕のある

支援して頂いているような人達からは、

この仕事はある意味、マザーテレサに憧れるような、

センチメンタルな仕事として映っているかもしれません。

しかし実態は過酷です。

少なくとも自分の職場は、あまりにも多岐にわたる業務を

少ない人数でこなさなければならず、千手観音となることを要求されます。

人をケアしつつ多岐の業務をこなすことは、男性には絶対無理!

毎日のように上司にちくちく言われながらも、皆健気にその要求に

答えようと頑張っていました。

そんな忙しさのピーク時に、職場の一番の問題児である

例のおばちゃんの堪忍袋がついに限界に達し、私の知る限り

過去最高の爆発を見せました。

それは2週間ほど前のことでした。

ただでさえ忙しく、ストレスに弱いおばちゃんに、施設の責任者が

無神経な要求を突き付けて、その怒りの矛先が

「おはよーございま~す」

と能天気に出勤してきた、無垢な自分にいきなりぶつけられたのです。

いや~こんなに怒っている人を見るのは久しぶりだった。

ですが、おばちゃんに苦しめられたこの問題はもう解決ずみで、

数日前にここにも書いた通りでした。

それがこの期に及んで、別な形となって浮上してきたのです。

このおばちゃんの素行に対する訴えは、施設の責任者の耳に

時々届けられているようですが、最近入社してきたパートさんからも

そのような訴えがあったようです。

おばちゃんと共にやっていくのは大変です、もうおばちゃんに

無視され続けるような感じは耐えられない、という内容だったようです。

その訴えを受けて、2~3日前に施設の責任者が私に

「実はこういう訴えがあったんだけど・・・」

と話しかけてきました。そこで私も

「彼女はパニックになると、人格が変わってしまうようです。」

と伝えました。おばちゃんが「ウォー!!」と吠えているのも

聞いたことがありますし、過去には椅子をぶん投げたこともあったのだそうです。

そして、そのやり取りがあった次の日、

おばちゃんがパワハラまがいの行動を取っていると、

施設の長のさらに上の人物からおばちゃんに対して、

注意がなされました。

複数の職員から訴えが出ている、ある人は人格が変わってしまうと

言っていた、注意して下さいと。

おばちゃんは「誰がそんなことを言ったのですか。」

とショックを受けていたように見えたとのことでした。

この狭い職場ですから、誰がそのような訴えを出したのかは

すぐに察しがつこうというものです。

その注意がなされた直後から、また私に対するおばちゃんの態度が変わってしまいました。

「あ″~上司達はよかれと思ってしたことが、せっかく収まった

おばちゃんの心をかき乱し波風を荒立てることになってしまったよ。」

一瞬温かい風が私とおばちゃんの間に吹いていたのに、

おばちゃんは再び、私に嫌味でつっけんどんな態度を取るようになってしまいました。

私もおばちゃんに負けず劣らず、人間関係がこじれると精神がパニック状態に

なってしまう(周りにぶちまけませんが、自分の内側がおかしくなる)ので、

自分にとって非常に由々しき事態となりました。

世の常として、会社の上層部には、人間的におかしな人物が跋扈しがちです。

徳や情は全然足りていないのに、頭だけはよく切れ、

自分が生き残ることだけを中心に考えている悪魔のような人物が、

のさばっているのをよく見ます。

神は弱く愚かな我らを見捨てたもう。

「神様は自分だけではなく、周りの人の心も変えて下さるのではなかったのですか?!」

悪魔が勝つか、神様が勝つか、神様がいるなら証拠を見せて下さいと

私の滅茶苦茶な祈りが始まりました。

「この人は怯えや弱みを見せると、それに付け込んでくる。まずは泰然としていることだ。」

「いや、自分もおばちゃんにつけ入れられる位、ぼけーっとしているからいけないんだ。」

「神様本当に私の祈りを聞いて下さっているかなあ?」

「最近なんか届いてないような気がする。」

神様にも猜疑心を抱き、悶々とした気持ちを抱えながら職場に出勤しました。

前回も痛い目に遭いさすがに少し学習したので、

このおばちゃんに対しては、彼女の想像を上回る菩薩心を見せなあかんと思い、

思い切ってそれを実践してみました。

「おばちゃんがぎゃあぎゃあ騒いでも、私何とも思っていませんから。」

みたいな感じで。

するとどうでしょう。

嫌味な接し方をされても、普段通りに接する私の様子を見て、

何と心を開いてくれたではありませんか。

おばちゃんの私に対する硬直した心は、ふにゃんとすぐに柔らかくなりました。

神は生きておられる!

悪魔のようなおばちゃんでも、生ける神の霊がまだ宿っていたのか、

私の善意に反応してくれたのです。

「やったあ!勝ったよ神様!」

自分が神様の言葉を実践しようとしたからか、

神様がおばちゃんの心に働きかけて下さったのか・・・?

心の中でおばちゃんに言いました。

「おばちゃんは自分が生き残ることだけを一番に考えているけど、それは自分を不幸にするよ。」

「おばちゃんがいつもびくびくしているのは、そのような考えにいつも捕らわれているからだよ。」

おばちゃんの魂が神様の光に照らされ、自分の罪を自覚することを願い祈るのですが、

劇的な回心の兆候など露も見えません。

周りの人を不幸にし、自分も不幸のように見えるおばちゃん。

輝きをとうに失っているように見えるおばちゃんの魂の行きつく先は、

一体どのような場所なんだろうと、おばちゃんを見る度に思います。

今回おばちゃんのお蔭で、嵐のようなスピリチュアルジャーニーを経験させられましたが、

自分の行き着いた先は、おばちゃんを許し恐れを乗り越えるという

平安の岬だったのかもしれません。

自分にとってこれは何よりの魂のごちそうです。

今期はこれともう一つ、えらいスピリチュアルジャーニーを経験させられました。

(つづく)