天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

祈りの答え?

今回ちょっとスリリングなことがあり、これは祈りの中で神様が応答して下さったのかな?
 
と思うことがあったので、いつものように書き留めておきます。
 
私の職場で行っている子供のためのプロジェクトがあるのですが、
 
自分はそこで中心的に動いている立場にあります。
 
そのプロジェクトには退職された男の先生も来て下さっており、子供達に工作などを教えておられます。
 
実はこの先生に初めて会った時、「この人は神の使いだ!」とすぐにピーンと来ました。
 
何故なら、この当時は今よりもっと断崖絶壁の心境で、神様に真剣に助けを祈っていた時だったからでした。
 
なんといってもこの方には邪気がなく、いつもニコニコと笑っており、額がキラキラと輝いていて、
 
この人が聖霊を宿していないとしたら、一体誰が宿していると言えるのだろうと思いました。
 
弱者に対するまなざしがとても優しく、笑っている姿を見ると
 
まるで聖霊がこぼれ落ちるかのように見えます。
 
実はこの方はある神道系の宗教団体に所属しているのですが、この方を見ていると
 
「私に反対しない者は仲間である。」と仰った、イエス様の言葉をよく思い出します。
 
幼稚園の時、劇で「私はいのちのパンである。」というセリフを言ったという話を
 
嬉しそうに何度もされました。また、私が神の箱やイエス様の紙芝居を
 
子供達に披露した時、子供達よりも一番この先生が喜んでいました。
 
先生は優秀な方ですが、私のやることによく協力して下さり、子供達と接することが本当に楽しそうで、
 
福祉の仕事の過酷な現場で、本当にこの方は神様から助け手として与えて下さった方だ、
 
こんな最高の人を送って下さるとは、本当に有難いことだと、会うたびにしみじみと感じるのでした。
 
ここからが本題なのですが、今週の月曜日にその先生から
 
「友人がこのプロジェクトに見学に行きたいと言っています。大丈夫ですか?」
 
と連絡が来ました。メールで何度かやり取りするうちに、その友人は何と結構有名な方だというのです。
 
S.R.という方ですと書いてありました。仕事の準備で気忙しく、
 
その人が有名かどうかはどうでもよかったのですが、明日来るというので、
 
一応インターネットでその人のことを検索してみることにしました。
 
写真を見た瞬間、何か見てはいけないものを見てしまった気がしました。
 
「この人には来てほしくない!」
 
と直感的に強く思ってしまいました。
 
日本のために何かスケールの大きな活動をしている、ということが書かれていました。
 
自分の中で何かのスイッチがオンになり、何故かこれは祈らねばと思いました。
 
それが昨日の夜のことです。次の日来る予定になっているので、もう時間がありません。
 
本当にこの人のやっていることが正しいことなのか、情報を統合して判断してみる暇はありませんでした。
 
祈る態勢を整えるため、潔斎もしてみるかと思い、鴨志田恒世さんの真似をして
 
風呂に入り、最後に水をシャワーで全身にぶっかけました。(少し清まった?)
 
神様には、その人はどうも自分のことをクリスチャンと言って活動しているらしいが、
 
自分にはそれが信じられないこと、日本のために活動しているように見せかけてはいるが、
 
実は良からぬ筋から遣わされた人なのではないか、自分のこの勘が正しいのであれば、
 
彼女をここに来させないで下さい、そうすることによりあなたが祈りを聞いて下さったことを
 
証明なさって下さい、みたいな内容でお伝えし、イエス様のお名前でしめくくりました。
 
そして当日(今日)。
 
神に向かって祈ったはいいが、いつものようにあまり自分の祈りを信用しておらず、
 
どうなるのだろうと、心配9割期待1割で来客を待っていました。すると
 
「見学のお客様がもう一人増えて二人になりましたと、先生から電話がありました。」
 
と私の所に連絡が入りました。
 
「やっぱり来るのだ。神様に祈りはしたが、あれは単なる自分の我がままな感情じゃなかったのか。」
 
と思い始めました。子ども達を迎える準備が整い、プロジェクトの開始時刻が近づいて来ました。
 
すると例の神様の使いのような先生は一人単独で来られ、言われました。
 
「お客さんは遅れて7時頃に到着するって。今~にいて、遅くなってるって。」
 
「・・・まさか?」
 
神は自分の祈りなんて絶対聞いて下さらないはずだ、と思いながら待っていましたが、
 
その方達が来る気配はありません。
 
開催中に施設内で子供が母親に1時間近く説教されるなど、それやあれやのトラブルもあり、
 
もう終わりの時間になりかけていました。
 
天使のような先生は残念がりながら、
 
「仕事が忙しいみたいで、もう東京の方に戻らなくてはいけないということです。
 
残念でしたが、また機会があればよろしくお願いしますとのことです。」
 
と言われました。先生の落胆の一方、私の心には「やったー!」と安堵の気持ちが広がりました。
 
「これって神様が本当に祈りを聞いて下さったということなのだろうか?
 
だとしたらあの人はやはり良い筋の人ではないということだ。」
 
ケヴィン・アネットさんもヴァチカンの前庭で悪霊退散の祈りをした時、
 
全てが非現実的なことに思えたと仰っていましたが、私も全く同様に感じていました。
 
原因(祈り)があって、結果(祈りの答え)を見た時に、祈った人間にとってはそのラインが一本に繋がり、
 
エス様のお名前の力と、父なる神様の権威を確認することができます。
 
しかし、祈って聞かれたと思った後には、モンヤリとしたいつもの自分があるだけでした。
 
「何か変だぞ!」というあの緊急スイッチは何だったのかと思う。
 
昨日はその人の情報をちゃんと確認することはできませんでしたが、
 
改めて家に帰ってから見てみると、やはり胡散臭い香りが満載で、陰謀論をビジネスに利用していたり、
 
予言めいた小説を書いてみたりと、手の込んだ詐欺のような手口を使っているような気がしました。
 
マザーテレサに歌を捧げたと書いてあることから、ヴァチカンとの繋がりも臭わせます。
 
マザーは悲しいかな、凋落するローマ・カトリック教会の評判を上げ、世界の人々から金を集めるためと、
 
統一宗教を推進するために利用された広告塔です。
 
この人物も、マザーの良いイメージを補強するために動いているように思われました。
 
今回もし私の勘が正しく、自分の問うたことに本当に神様が答えて下さったとしたら、
 
この人物は本物の神を信じておらず、日本のことを気にかけていると言いながら
 
裏で怪しげな活動をしているのだと思います。
 
日本にはこのようなスパイのような人物があちこちで活躍しているのですね。
 
以前に祈ったデービッド・テイラーのことを信じ込んでいたのも、天使みたいなおじいちゃんだったし、
 
今回も神様の使いのような先生であり、悪い人達が善人に近寄り利用しようとする図式をはっきり見ました。
 
この方とはフェイスブックで繋がったと言います。
 
こんな身近にこのような人と簡単に繋がるのは危険だと思いました。
 
フェイスブックを利用している中高年の男性は気を付けて下さい。