天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

とんだスピリチュアルジャーニー(2)

次に経験した魂の冒険は、否応なしに英語の世界に引き戻されたことでした。

障害者の作業所にいる自分が、この10月からなぜか仕事で小学生に

英語を教えるはめになってしまったのです。

元々ボランティアで担当して下さっていた人が、

自分の軽はずみな言葉に激怒して去って行ってしまったのです。

中学生の時の文集に、自分の将来像として

「1か国語くらいは喋れるようになりたい。」

などとのたまっていました。また、

「英文科なら潰しがきくだろう」という人生をなめきった理由から、

そんなに好きでもなかった英語を大学で専攻しました。

そして大学4年間を後悔の嵐で過ごし、

卒業して今に至るという道のりを通ってきました。

実は大学で一番面白かったのが、英語の授業なんかではなく、

宗教とか哲学、心理学の授業でした。

卒論はなんとブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」(笑)。

卒業してからも「英文科出たんです」と周りに言うのが気が引けて、

自信を持ってアピールできませんでした。

英文科を出たのに実は英語ができないということに責任を感じ、

修行のためにこのブログを借りてたまたま翻訳をやったりもしていますが、

今でも心から英語が好きで得意だとは言えないのです。

音声的にも文法的にも日本人って英語に向いてなくないですか?

長年勉強してきてもいまだによく思います。

そして多くの日本人がこの問題に悩ませられていると思います。

ある日た私がさして得意でもない英語を使って、

外国の人に自分の所の商品を説明しているのを上司に見られて、

あなた英語話せるのね、ということになってしまいました。

(ほんの少し喋っただけで、ほとんどの日本人はすぐにそう言う!)

じゃあ子供に英語教えられるでしょ的な

雰囲気になって、今回の流れになったというわけです。

しかし本業の仕事もあるのに、この業務をプラスして

平然とやらせているうちの上司はいったい何者だ。

ボランティアの先生が突然辞めたもう次の日に、空いた穴の

埋め合わせをしなければなりませんでした。

第1回目の授業は古い大木にしがみついている自分を、

べりべりべりと引っ剥がすような、古い自分を叩き壊すような気持ちで挑みました。

なんともうさん臭いティーチャーだなと我ながら思いましたが、

やってみると案外面白くできました。

今までもう10回位やって来たのですが、人にものを教えるというのは、

自分がよく分かっていないと、自信をもってできないものなのだと痛感します。

自分があいまいにしてきた所を、子ども達に教えることによって

復習させてもらっている感じです。

日本語ですらおぼつかないのに、ましてや英語を話そうと思っても

圧倒的にフレーズが出てこないし、口が動きません。

ある英語の達人によると、日本人の英語被爆度(?)はたった3%位

にしか過ぎないとのことでした。それでは喋れるわけないだろうと。

確かにそうだと思い、最近は子供に教える責任もあって、

再び英語漬けの生活になるように心がけています。40の手習い・・・

最近は神様へのメールも練習台にしてごめんなさいと

思いながら英語で書くようにしています。

勉強を再開し始めると、昔と違って今は懇切丁寧な教材やメディアが巷に

氾濫していることに気づきました。

時代は変わった・・・

(つづく)