天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

魔が去るとき戻るとき(1)

ある人に会ってすぐに

「この人の周りには悪霊が取り巻いている」

と感じたことがありました。

その人の顔の周りには白いもやのようなものがかかっており、

声には冷たさがあり、目には邪悪な光が宿っていました。

自分はその存在感を五感で捉えるタイプなので、霊が見えるとかいうのとちょっと違うのかもしれません。

やっかいなことにその女性には高い知性と力があり、言葉の上では信仰深げで、

聖書の原理原則がよく分かっている感じなのです。

人は聖書の言葉を頭で理解しているだけでは十分でなく、神の霊を内に宿す必要があります。

教会にきちんと出席しているからといって、必ずしも神の霊を宿していることにはならないのです。

神の霊を宿すにふさわしい器になっている必要があるのです。

その女性は「聖霊バプテスマ」を受けたと人に話していたようでした。

しかし私が彼女から受けた印象はすこぶる悪いものでした。

彼女は本当にクリスチャンか?と私は会う度に疑問でした。

悪霊を宿しているように思えたからです。

彼女が近くにいると内に強く反発するものを感じました。

彼女は非常にプライドが高く見え、そのプライドのゆえに魔を引き付けたのだろうと想像されました。

似て非なるものは取り扱いがやっかいです。

それが正しい神から来たものか、邪悪な輩から来たものか、

見分けなくてはなりません。[神道ではそれを審神(さにわ)という]

サタンは神様の被造物なので、堕ちても神の性質を受け継いでいます。

神様がなされることに似た現象も起こせるわけです。

今のキリスト教会では審神が手薄で、悪いものの侵入を許してしまっています。

ある時彼女が私の誕生日を祝いたいと言って来ました。

食事中に私が彼女に本音を言いすぎたというか、弱味を見せてしまったというか、

明け透けに話してしまったことがありました。

するとみるみる彼女の顔つきが変わり、険悪な雰囲気となりました。

(その日すでに会った瞬間からおかしかったのですが)

はっと、彼女を取り巻いている悪いものに付け入る隙を与えてしまった、と感じました。

結局最悪な雰囲気の誕生会となり、気分が休まらないままぐったりして部屋に帰り、

寝転がりながら神様に祈りました。

彼女の内から魔を去らせて下さい、もしくは自分の所から穏便に去らせて頂けますように。

例のパワフルな叔母にも頼んで祈ってもらいました。

するとその次の日の夜、彼女から電話がかかってきました。

その声はいつものとげとげしい声ではなく、今まで聞いたことのない、

穏やかで温かみがあるものに変わっていました。

すぐに彼女の内面が変えられたと気づきました。

いつもだと彼女と話す時こちらが身構えてしまうのですが、

そういったこともなく、いたって平和に会話できました。

彼女は私が昨日無事帰れたか心配になった、今ちょうどデボーションしていて、

ある箇所を読んでいて、本当にそうだなと思ったんですと言いました。

気になったので、どんな内容だったんですか?と聞くと、

水戸黄門の姿をイエス様の姿になぞらえて、

なんてことのなく見えた人が、神様の印籠を取り出すことによって、

周りがははーっと屈する箇所を読んでいましたと話してくれました。

それを聞いた時、ははーっと屈したのは悪霊だなと感じました。

なんてことのない人というのは叔母と自分か?

神様が祈りに答えて下さり、彼女から魔を去らせて下さったと喜びました。

つづく