「The Force」シリーズは次回で終わりです。
救いの象徴である十字架ですが、やっぱりこれも偶像となり得るんだなあと思いました。
私が最後に通っていた教会は十字架も聖画も聖句も掲げていませんでしたが、
それがとても新鮮で、清潔な感じがしていました。私が最後に通っていた教会は十字架も聖画も聖句も掲げていませんでしたが、
神様を信じるクリスチャンは、形よりも実を見ることを徹底する必要がありますよね。
8億もの「黙示録の大淫婦」のメンバーを霊的な縛りの中に留まらせるために、サタンはミサ(主の晩餐の模倣)を使った。これは聖餐の秘蹟と呼ばれている。これはコロサイ人への手紙11章4節において、聖書が私たちに警告しているもうひとりの「イエス」である。
これは「ホスト」と呼ばれる。(IHSのイニシャルが入ったウェハースが描かれている)それは確かにエジプト人達から盗んだもので、彼らはウェハースを太陽の神「オシリス」に変えた。それはなぜ「ホスト」が太陽の形をしているのかという理由である。
知ってのとおり、ローマカトリックのホストの上に書かれている文字はエジプト人達のウェハースの上にあるものと同じである。その「IHS」はエジプトの三位一体、イシス・ホルス・セトを表している。
大淫婦はそれをギリシャ語でイエスの聖なる御名を表わす3文字に変えた。これはイエズス会士達が彼らのバッジとして選んだシンボルである。
ローマカトリック信者にとって、聖餐の秘蹟に参加しないことは永遠に罰せられることを意味している。大淫婦はそれをギリシャ語でイエスの聖なる御名を表わす3文字に変えた。これはイエズス会士達が彼らのバッジとして選んだシンボルである。
悪霊の棲家(ヴァチカン)はそのメンバーたちにオカルトの網を仕掛けることに成功している。
ローマカトリック信者はイエスが「私の民よ、彼女から逃れよ」(黙示録18章4節)と命じた言葉におののいている。聖書とキリストの言葉を信じる代わりに、彼らは黙示録17章の大淫婦の教えに従うことを好んでいる・・・彼らは自信をもって主張している・・・「ローマカトリック教会の外に救いは全くない。」このオカルト宗教機構によってクリスチャンの教会のふりをするのに、使われている2つのシンボルがある。ひとつは十字架で、それは死の象徴である。もう一つは聖体のシンボルである。
十字架は天の女王セミラミスによって、彼女の息子タンムズ(太陽の神、バール)を記念して創られた。タンムズの十字架には、死んだ「イエス」が掛けられている。これはローマカトリックの信者によって崇敬され、祈られている宗教的な物である。
十字架はオカルティストにとって真の中心である。神の目からはそれは呪われたものである。(申命記7章16節)
吸血鬼映画で描かれているように、その十字架の背後には強力な悪魔的力が働いており、途方もない力を放っている。
私がカルメン・モンテズの悪魔祓いに関わった時、「死者の霊」に立ち向かったのだが、実際は死者の霊を装った悪霊に向かっていたのだ。イエスはマタイ12章43-45節で私達に救われていない者から霊が追い出されると、他の7つの霊を引き連れて戻ってくると仰っている。
そのように十字架の背後にあるオカルトの力によって、ローマカトリックの信者からより弱い悪霊を追い出すことはにサタンの好都合となる。十字架はオカルティストにとって真の中心である。神の目からはそれは呪われたものである。(申命記7章16節)
吸血鬼映画で描かれているように、その十字架の背後には強力な悪魔的力が働いており、途方もない力を放っている。
私がカルメン・モンテズの悪魔祓いに関わった時、「死者の霊」に立ち向かったのだが、実際は死者の霊を装った悪霊に向かっていたのだ。イエスはマタイ12章43-45節で私達に救われていない者から霊が追い出されると、他の7つの霊を引き連れて戻ってくると仰っている。
これは信者達をローマカトリックのシステムの中にとどめておく途方もない力を持つ悪魔、すなわち「神の母」のようなバビロンの悪霊達によって完全に支配されるという道をサタンのために備えているのだ。
アルベルト:「どんな十字架でも、家にあろうが修道院にあろうが、闇の力が充填されており、その近くにいる誰にでも影響を及ぼすのだ。何故ならそれは悪霊を引き寄せるからだ。」
ティム:「では彼らが家に十字架を持っていたら、それを捨てるべきなのですか?」
アルベルト:「そうだ。聖書は申命記7章26節で言っている。『あなたは忌むべきものを家に持ちこんで、それと同じようにあなた自身も、のろわれたものとなってはならない。あなたはそれを全く忌みきらわなければならない。それは呪われたものだからである。』」
ティム、私が14歳だった時、私達のイエズス会の大学からのグループが、どのようにしてイエズス会を運営するのかということを勉強するために、スペインのカナリア諸島の一つラスパルマス(Las Palmas)にあるサレジアン(Salesian)の修道院を訪問した。彼らは孤児と共に活動することに特化していた。
私の友人達と私はそこらへんを走っていたが、友人の一人がある大きな開いた穴に落ちてしまった。
1.8mの深さと1.8mの幅がある穴で、9mほどの長さがあった。彼は怪我をしてしまい、それで私が助けるために中に入った。
私はある長い木の棒を掴んで引きずり寄せたが、それは毛布のような木綿をぐるぐるに巻いた大きな物だった。
アルベルト:「これは何だ?」その木を引っ張って、その「毛布」をほどいた時、私は自分の見たものに凍りついた。