天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

恩を仇で返す

皆さんはどんな年末を過ごしておられるでしょうか。
 
私は職場の悪環境を制したと自負していましたが、その後大どんでん返しがきまして、
 
急転直下最悪な気分で年末年始を迎えることとなりました。
 
何が起きたのかというと、職場のおばちゃんの大恩を仇で返してしまったということです。
 
おばちゃんと自分との間に、みたらし団子一折の友情が生まれつつあったのに、
 
自分のまずい行動のために、おばちゃんの職場での30年にわたる信頼を海の藻屑にしてしまったのです。
 
2か月前に自分は職場の車を駐車場でぶつけてしまったのですが、
 
その時すぐに気づかず、1週間後に発見して青くなってしまいました。
 
車をぶつけると、給料を減らされるとか、始末書を書かされるとか、
 
色々面倒なことを予想し、施設の長になかなか言えないでいました。
 
そのことをおばちゃんに相談すると、
 
「ああ、今度車検があるから、その時見てもらって直してもらうようにしてあげるよ。」
 
と言って、内緒で車を直してくれました。「他の子もよくぶつけてたんだよね。」
 
おばちゃんはその都度施設長には内緒で、車を密かに直していたようです。
 
それでこの件は落着したのですが、あろうことに、私の中でどんどんと
 
施設長に報告しなかったという良心の呵責が増してき、しまいに吐き気をもよおすようにまで
 
なってしまいました。
 
「このことを施設長に言ったら、おばちゃんが秘密裡にやってきたことがばれてしまう。」
 
と考え、言うか言わぬかで葛藤し、ひと月位悩んでいました。
 
「よし、言おう。」
 
神様、言います。ただしおばちゃんの今までのことはさらっと流してもらうように
 
お願いしますね、と勝手なことを祈ってから施設長に報告しました。施設長は、
 
「かえって言ってもらって良かった。安全管理の役目があるから私に何でも報告してね。」
 
と、ぶつけたのが2か月前だというのにもかかわらず、特にきついおとがめもなく、許してくれました。
 
その次の日の帰り際。
 
おばちゃんが私を呼び止めて、
 
「さっき理事長が来てたんだけど、理事長に、『今まで何てことしてくれたの。あんたと私の30年間の
 
信頼関係がパーになったわ!』とひどく怒られた。次の更新(おばちゃんは定年を過ぎており、毎年
 
契約が更新される)はないかもしれない。あなたが動くと事がおかしくなる。
 
もう何も言ったりやったりしないで!いいね!」
 
と血相を変えて言われました。
 
施設長が理事長(両者は親子である)にすぐこのことを話し、二人で話すうちにおばちゃんが
 
ぶつけた車をこそこそと、車検の際に裏でずっと直していたのではないかということも
 
話に上ったに違いありません。
 
シナリオをある程度予測していたにせよ、自分の軽率な行動がおばちゃんの30年来の信頼を
 
台無しにし、理事長とおばちゃんの間に不和を生んでしまったということに対して、
 
自己嫌悪でいっぱいになりました。
 
次の日おばちゃんはいつにも増してキーキーしており、ほがらかな笑いもなく、
 
ずっと苦悩の表情を湛えていました。
 
それを見るにつけ、自分のやったことは一体何だったのか、
 
自分の胸の中にだけ留めておけば、おばちゃんの立場も危うくすることはなかっただろうに。
 
そもそもぶつけた時点ですぐに報告していれば、こんなことにはならなかったはず・・・
 
と悔やまれて仕方ありませんでした。聖書に
 
「あなたの道を主にゆだねよ。主はそれを真っ直ぐにして下さる。」
 
ということを思い出して、神様に喜んでいただくために最終的に告白することを選んだのに、
 
結果としておばちゃんを傷つけ苦しませてしまいました、理事長が彼女に対して失ってしまった
 
信頼を取り戻させてください、どうかこのことから、
 
おばちゃんが神様のご存在に対し目が開かれますように(←余計か?)
 
とイエス様のお名前で祈りました。
 
自分はおばちゃんに「もう動くな!」と言われているので、
 
後は神様にお任せし、取り計らって頂くことを願うしかありません。
 
この一件で、次回の契約の更新時に退職を勧告されるかもしれないおばちゃんが
 
苦しい年末年始を過ごしているのかと思うと、いたたまれなくなってきます。
 
・・・ということで心が重苦しい年末を過ごしていました。
 
先ほど、今まで歌うのを忘れていた讃美歌を何曲か歌っているうちに、
 
不思議と心がふっと軽くなりました。
 
今の職場に馴染むのに1年かかりましたが、毎朝神様を賛美してから
 
職場に出かけて行ってたっけ。最近は「これでもう大丈夫」とばかり、
 
朝のバスの中で祈る祈りもおろそかになり、賛美歌も歌わなくなってしまっていました。
 
「人はパンのみで生きるにあらず。神の口から出る一つ一つの言葉によって生きる。」
 
とありますが、霊的なものはご飯を食べるのと同じ位、毎日補給するべきなんだなあと思いました。
 
しかし休み明けが怖い・・・