天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

家庭礼拝のこと

イメージ 1
(この間のスーパームーン

前の記事を書いた日から、このブログを放置して早20日あまり。

何だか自分の中から神様の霊の力?がシューっと減退していくような感じがして、

今書いてもろくなことは書けないと思い、自粛していました。

こうなると、自分の心が生きているんだか死んでいるんだか、

意味不明なぼんやりとした状態になってしまいます。

生きる方向が曖昧になってしまうような。

こうなったのも自分の不信心な行いのせいか?

今日は日曜日だったのですが、行くと霊的な挑戦状を突きつけられる教会に行くのはよして、

家で家庭礼拝をしていました。

いつもの「聖なる聖なる」を歌っていると、魂が熱くなってくるのが分かり、

静かな感動が内から湧き起ってくるのが感じられました。

この魂の芯みたいなものが、やっぱり欠けていたんだ、

ちょっと前まで朝に一生懸命歌っていた賛美歌を、ここ最近ずっと歌っていなかったからなー、

神様の霊が自分の中で薄くなっていたんだ、と実感しました。

教会での礼拝には欠かさず行っていたにも関わらずです。

会社内の人間関係が良好になるにつれ、神様に真剣に助けを求めなくなっていったのも、

原因の一つかもしれません。気が緩んでしまったというか。

一人孤独になって神様のために時間を作り、神様と向き合うことは、

目に見える教会に行くよりも、自分にとってはもっと重要なことだなと思いました。

あと、聖書朗読もしました。神様の言葉には力があり、声に出して宣言していると、

きっとよい影響があるだろうと信じます。

子供がいる家庭では、親が子供に聖書を読み聞かせてあげることは、

最良の躾の方法だと思います。何故ならそれは自分の言葉ではなく、神の言葉だからです。

家庭内の礼拝のお陰で、今日一日気持ちが安定し、自信みたいなものも湧いてきました。

ところで、一週間後の10/24(土)には、当家で「秦氏の活動とその聖書ルーツ」と題して、

家庭集会を開きます。秦氏のことに関する入門的なお話になる予定ですので、

興味のある方がいらしたら、是非お出で下さい。

↓聖書と日本フォーラムのホームページにも案内が出ています。