何だか自分の中から神様の霊の力?がシューっと減退していくような感じがして、
今書いてもろくなことは書けないと思い、自粛していました。
こうなると、自分の心が生きているんだか死んでいるんだか、
意味不明なぼんやりとした状態になってしまいます。
生きる方向が曖昧になってしまうような。
こうなったのも自分の不信心な行いのせいか?
今日は日曜日だったのですが、行くと霊的な挑戦状を突きつけられる教会に行くのはよして、
家で家庭礼拝をしていました。
いつもの「聖なる聖なる」を歌っていると、魂が熱くなってくるのが分かり、
静かな感動が内から湧き起ってくるのが感じられました。
この魂の芯みたいなものが、やっぱり欠けていたんだ、
ちょっと前まで朝に一生懸命歌っていた賛美歌を、ここ最近ずっと歌っていなかったからなー、
神様の霊が自分の中で薄くなっていたんだ、と実感しました。
教会での礼拝には欠かさず行っていたにも関わらずです。
会社内の人間関係が良好になるにつれ、神様に真剣に助けを求めなくなっていったのも、
原因の一つかもしれません。気が緩んでしまったというか。
一人孤独になって神様のために時間を作り、神様と向き合うことは、
目に見える教会に行くよりも、自分にとってはもっと重要なことだなと思いました。
あと、聖書朗読もしました。神様の言葉には力があり、声に出して宣言していると、
きっとよい影響があるだろうと信じます。
子供がいる家庭では、親が子供に聖書を読み聞かせてあげることは、
最良の躾の方法だと思います。何故ならそれは自分の言葉ではなく、神の言葉だからです。
家庭内の礼拝のお陰で、今日一日気持ちが安定し、自信みたいなものも湧いてきました。
ところで、一週間後の10/24(土)には、当家で「秦氏の活動とその聖書ルーツ」と題して、
家庭集会を開きます。秦氏のことに関する入門的なお話になる予定ですので、
興味のある方がいらしたら、是非お出で下さい。
↓聖書と日本フォーラムのホームページにも案内が出ています。