今は終わりの時という預言があって、自分としてはそれを信じているのですが、あまり切迫感がありません。
311の時もあまり衝撃は受けなく、これは人間の目を覚まさせるため、神様の方で許された惨事なのだと思いました。
自分自身の惨事を何回か経験しているからなのか、いつも心の中で何か準備しているからなのか、
「終末」を信じている割には何でこんなに落ち着いているんだろうと、自分でも不思議です。
中学生の頃ビリー・グラハムの「幻」を読んで、
「クラスの皆も神様信じてないと滅びるんだ…」と、
あたかも今日明日にでも世界の滅びが来てしまうような、悲愴感にとらわれたことがありました。
この時の衝撃があまりにも大きく、放心状態となり、夏休みを棒にふる位でした。
今はビリー・グラハムがフリーメーソンであったことも分かり、
サタンを信奉する者達が、彼ら独自の「終末」のシナリオを、その本の情報によって浸透させたいだけだったのだ、と理解するようになりました。
サタン側で計画している終末と、神様がご覧になる終末は、違うんじゃないかと思います。
聖書の黙示録は非常に難解で、人間が勝手に解釈したらえらいことになりそうです。
預言の中に「あなたがたの多くの解釈は間違っている」とあり、
聖霊によらない人間の勝手な聖書の解釈は、人を生かす命がないというか、
神様の目からご覧になると無意味で、その間違いは多いようです。
黙示録は人心操作するのに都合のいい書物だったのでしょう、サタンはこれを上手く利用してきたと思います。
黙示録も神様の霊によってだけ封印が解かれる書物なのでしょう。
正しく解釈できる人に会って、正しい解釈を聞いてみたいと思いますが、なかなかストンと落ちるものに出会わないです。
再建主義の教えのように、終末は終わったと考える向きもあるようです。
ですが、自分としては上の預言をその教えよりも上位に起きたく、
だとすると、今霊の世界で終末がどんどん進行していて、それが現実世界に反映される段階に差しかかっているのかとも考えます。
神様がお考えになる「終わりの時」という言葉の意味を、聖霊の導きによって知る必要があると思いました。