天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

明治天皇のこと(5)(戦時下の歌)

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「うつせみの世のためすすむ軍(いくさ)には 神も力をそへざらめやは」 (明治38年作)


日露戦争明治天皇の時の戦争だったんですね。

小学生位の歴史認識しかない自分が言うのもなんですが、

明治天皇を中心として、まさに神風が吹いた戦争だったのかもしれません。

「四方の海」の歌からも分かるように、明治天皇は戦争には決して賛成ではなかったけれど、

戦わねばならぬ時がある、ということを観念して戦争宣言に踏み切ったようです。

「すすむべき時をはかりて進まずば 危き道にいりもこそすれ」

明治37年2月4日に、日本政府はロシアと戦争することを決定し、

天皇はこの決定に裁可を下しました。

明治天皇紀」には、この時の天皇の苦悩がいかばかりであったかが記されています。

印象深かったので、引用してみました。

「・・・夕刻内廷に入りたまひて後、左右を顧みてのたまはく、

今回の戦は朕が志にあらず、しかれども事すでにここに至る。

これをいかんともすべからざるなりと。

更に独り私語したまふものの如く、語を継ぎてのたまはく、

事 万一蹉跌を生ぜば、朕何をもってか祖宗に謝し、臣民に対するを得んと。

たちまち涙潜々(せんせん=はらはら)として下る。一座ために暗然たり。

これより天皇、宸衷(しんちゅう=天皇の心)を悩ましたまふこと殊に甚だしく、

夜々寝に入りたまふも、眠安らかなるあたはず。

朝夕の膳御また多く旨味を覚えたまはず。

日を経てすこぶる健康をそこなひたまふに至ると云ふ。」

そして、日露開戦を決断した時に詠んだ歌が、あの「四方の海」の歌なんだそうです。

次の歌は、戦いが熾烈をきわめ、多くの兵士の命が失われる局面となって作られたものだそうです。


「おのが身にいたで(痛手)おへるも知らずして 進みもゆくかわが軍人(いくさびと)」

「ををしくも連なりきつるあた(敵)船を うち砕きけりわがいくさびと」


「わが」という言葉に、天皇の心はいつも人民と共にあったことが感じられませんか?

これらの歌を読んで、日露戦争の快進撃に、

はらはらしたり、歓喜に湧いたりしている、明治天皇の姿が目に浮かびました。