「うつせみの世のためすすむ軍(いくさ)には 神も力をそへざらめやは」 (明治38年作)
小学生位の歴史認識しかない自分が言うのもなんですが、
明治天皇を中心として、まさに神風が吹いた戦争だったのかもしれません。
「四方の海」の歌からも分かるように、明治天皇は戦争には決して賛成ではなかったけれど、
戦わねばならぬ時がある、ということを観念して戦争宣言に踏み切ったようです。
「すすむべき時をはかりて進まずば 危き道にいりもこそすれ」
明治37年2月4日に、日本政府はロシアと戦争することを決定し、
天皇はこの決定に裁可を下しました。
印象深かったので、引用してみました。
「・・・夕刻内廷に入りたまひて後、左右を顧みてのたまはく、
今回の戦は朕が志にあらず、しかれども事すでにここに至る。
これをいかんともすべからざるなりと。
更に独り私語したまふものの如く、語を継ぎてのたまはく、
事 万一蹉跌を生ぜば、朕何をもってか祖宗に謝し、臣民に対するを得んと。
たちまち涙潜々(せんせん=はらはら)として下る。一座ために暗然たり。
夜々寝に入りたまふも、眠安らかなるあたはず。
朝夕の膳御また多く旨味を覚えたまはず。
日を経てすこぶる健康をそこなひたまふに至ると云ふ。」
そして、日露開戦を決断した時に詠んだ歌が、あの「四方の海」の歌なんだそうです。
次の歌は、戦いが熾烈をきわめ、多くの兵士の命が失われる局面となって作られたものだそうです。
「おのが身にいたで(痛手)おへるも知らずして 進みもゆくかわが軍人(いくさびと)」
「ををしくも連なりきつるあた(敵)船を うち砕きけりわがいくさびと」
「わが」という言葉に、天皇の心はいつも人民と共にあったことが感じられませんか?
これらの歌を読んで、日露戦争の快進撃に、