教会を放浪してきた者だけに分かることですが(全然自慢になっていない)、
何か教会から聖霊の働きが、どんどん抜けていっているような気が…
聖霊がいないのに、習慣だけで教会を操業しているような、
何かもぬけの殻みたいな雰囲気の所が多いと感じます。
これが「終わりの時代」の一つの徴候なのでしょうか?
お釈迦様は自分で悟りを開けと言われましたが、イエス様は私を通して救いを得なさい、と仰いました。
それでキリスト教徒は安心しきっていたのですが、その恵みももう終わりなのでしょうか!?
この方の記事に、気になることが書いてありました。
「・・・ところがこれからは、個人の自業自得による因果以外では生死が決まらなかったシステムだったのが、
本当の悪人からは内在神が「自ら離れて」魂の緒が解けてしまう世紀に入る予感がします。
これは神様の絶対の禁じ手でした。
つまり人間一人ひとりの生殺与奪(せいさつよだつ:生きる死ぬを左右すること)を神様が元々握っていたのですが、今までの世紀は個人の自業自得に完全に任せ、神様は絶対に不干渉にしていたのです。
ところがこれからは、その人の生活と行いを見て良心(内在神)が肉体から離れる現象が起こると感じます。
誰もが自分の良心(内在神)と向き合う世紀の始まりです。
ところがこれからは、その人の生活と行いを見て良心(内在神)が肉体から離れる現象が起こると感じます。
誰もが自分の良心(内在神)と向き合う世紀の始まりです。
誰もが、自分の良心(内在神)と生死を懸けた真剣勝負が始まると予感します。
極論すれば、これが本当に実行されれば、ミロクの世(平和な世界)が自然と来る道理が分かります。
自分の良心に従う人しかコノ世に居ないのですから・・・・。」
もし上の記事で言っているように、魂のシステムが変わってしまったのだとすると、
お釈迦様が言われたように、これからは自分の努力のみで、救いを達成せねばならないのでしょうか?
自分だけで、というのは恐ろしいことです。
それがほとんど不可能だから、イエス様が来て下さったはずなのですが…
ですが、この預言にもあるように、「聖書をよく調べなさい」とあるので、
早合点する前に、このことについて、じっくり祈って導きを得る必要があると思いました。