「聞く耳のある者は聞くがよい」
とイエス様はおっしゃいました。信仰は聞くことから始まると聖書にあります。
信じることと聞くことが密接に関係するならば、静かに聞けない人は、信じることも難しいということになるのではないでしょうか。
聞いていると錯覚して、実は心に落ちていないことも多いです。
身分の高い人も低い人も、子供も老人も、能力の高い人も低い人も、それぞれ話す言葉に真実が込められていると感じます。
その言葉を静かによく聞くなら、その人が何を言わんとしているのか、何を願っているのかが、自ずと見えてくるのではないでしょうか。
その人の心の願いが分かり、それを尊重するようにすると、人間関係もぐっと良くなります。
ですが、皆自己主張に忙しく、落ち着いて人の話を聞こうとしません。
神様の言葉を受け取る時も同じことが言えると思います。
イエス様は、ご自身が道であり真理であり命であると仰いました。
そのお方の言葉によく耳を傾けるのであれば、心が開かれ、天の真理に対しても目が開かれていくのではないでしょうか。
神様は無理に人の心をこじ開けるようなことはなさいません。
こちらがよく聞く耳を持ち、教えを請う気持ちでいると、気づくと自然に心が開かれ、聖書が指し示す真理が見えてくるようになります。
お釈迦様は自力で良くなれと説きましたが、イエス様は、
「まず良くされてから善きことをせよ、が私の教えである」
と仰っています。(サンダー・シングとの対話中)
神様からの霊(又は霊力のある言葉)を頂いて、心が変えられて、初めて本当の善いことができるのだと思います。
よく聞く人は心がどんどん良く変えられ、聞かない人はそのままの状態に留まるでしょう。
聞かないで自己主張ばかりする人は、一見他人に影響を与えているようで、実はその逆なのかもしれません。
話すことよりも、まず聞くことの効能の大きさがこれで分かるでしょうか。