イエス様がどういうお方だったのかと想像すると、口数の少ない、とても静かな、しかしエネルギーに満ちたお方のような気がします。
雄弁になられたのは、天の真理を語る時のみだったことでしょう。
神様に知られており、天地万物を創られたお方なので、わざわざ自分はこういう者です、と主張する必要はないはずです。
この神様に知られているという感覚は、人から無駄な自己主張を遠ざけます。
すでに神様が分かっていて下さるので、別に人に知ってもらわなくてもいいからです。
すると、心に余裕が生まれ、人間関係も切羽つまらず和らぐ方向に向かいます。
これは自分が得た感覚です。
ありゃ、また話がずれてきてる。