天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

「イッサ伝」を読んで

前回の日記を自分で読んで、吹き出しそうになりました。
この人完全に男言葉になってますね。

女性が長く働き過ぎると男性化してきますね。
ああいやだ。

ところで、「イエスの失われた17年(10) ピラトの前へ/十字架に架けられる 」
の記事を読んで下さった方、気づきましたでしょうか?

これは訳した人が書いていたのですが、

聖書では「ピラトが手を洗った」ことになっていますが、
イッサ伝では「ラビ達が手を洗った」ことになっています。

これは大きな違いです。
聖書ではユダヤ人のラビ達に罪をなすりつけています。

ピラトというか、後の時代の体制側は、自分達を悪者としたくなかったのでしょう。

私はイッサ伝の方がチベット仏教の寺院に保存されていたことから、
現行の聖書より、イエス様の教えを正確に伝えてくれていると思います。

歴史を通して聖書の編纂に、為政者側の思惑が盛り込まれてきたとの考えがありますが、
この箇所もまさにそのような事の一つだと思いました。

イッサ伝を読むと、今まで人間が作り上げた「教会のシステム」は
いらないことになってしまわないでしょうか。

教会は「信仰を持った者達の霊的な集まり」であるはずなのに、
いつの時代からか、
「建物があって、教師達がいて、教えられる信徒がいて、献金というシステムに支えられているのが教会」
になってしまってはいないでしょうか。

こういう教会の矛盾に気づいた人達が、そのおかしさに耐えられなくなり、
飛び出すほかなかったと私は考えます。

エス様は神様と直結している心を清く保ちなさいと教えてくださっただけなのに。
とてもシンプルな教えです。

カトリック教会ではイエス様の時代の弟子達が書いた文書を
多く保管しているということです。

その中には公表すると、カトリック教会のシステムを揺るがしかねない
情報も含まれているようです。

以前知り合った人で、子どもの時は教会に通っていたのに、
やがて「教会は偽善者の集まりだ」と思って、行くのをやめてしまった人がいました。

でも彼からは神様を信じる人だという強い印象を受けました。

イッサ伝を読むと、イエス様は端的に正しい心の使い方について教えてくれていただけで、
教会というシステムを作り上げなさいとは言っていないことが分かります。

教会に集っている人を非難しているんじゃないですよ、
2000年もの間、伝言ゲームをしているうちに、人間はイエス様の本来の教えとかけ離れた
システムを作り上げてしまって、そっちの方を守ることに躍起になっているということを
言いたかっただけです。