1923年までにはドイツは混乱していた。インフレが天文学的となり、紙幣は役立たずとなった。ドイツの人々は全ての死と悲惨を伴う戦争で病んでいた。彼らは皇帝を全てのことで非難し、彼と政府を座から引きずり下ろした。共産主義者は乗っ取りをかけて戦っていた。
男1:「アメリカの1ドルを買うのにどれ位のマルクがいるんだ?」
男2:「約4兆マルクだ。」
男2:「約4兆マルクだ。」
男3:「ドイツは滅茶苦茶だ…私は全てを失った!」
男4:(大量の札束を見て)「これで1斤のパンを買うことさえもできない。」
男4:(大量の札束を見て)「これで1斤のパンを買うことさえもできない。」
新しい政府はとても弱かった。ある人はドイツの人々をフランスでしているように、自分達独自の政府を運営しようと欲し、ドイツを共和政にしようと試みていた。教皇は怒り狂った。共和政は破滅への道だからだ。
2つの人物がそれを破壊した。一人はフランツ・フォン・パパンであった。もう一人はパセリで、のちにピウス12世となった。
もう一つの大きな異端審問が始まろうとしていた。ドミニコ会の法衣を纏う代わりに、彼らはナチの制服を着ていた。
ヒトラーのブラウンシャツ(ナチスと呼ばれた)はバチカンの援助を受けていたが、同じファシストのムッソリーニを使った。ローマ・カトリックを含む、全ての反対者を降伏させるために、打ちのめしたり脅したりした。
(逆卍の絵が示されている)この来るべき新しい異端審問のためのシンボルはスワスティカである(良き年配のメーソンのシンボルでもある)。
1933年、イタリアのように、ドイツもローマにおいてヴァチカンと政教条約にサインした。
政教条約にサインしているのはパセリ枢機卿(後に教皇ピウス12世となる)である。1933年まで彼はヴァチカンの秘書だった。左から2番目はフランツ・フォン・パペンで、腹黒いナチで熱心なローマ・カトリックであった。彼はヒトラーの一番の外交官で、ヒトラーを権力へと導く助けをしたヴァチカンのエージェントであった。
フォン・パペンは世界に誇っていた。
スペインは第三の前線となった。スペイン共和国の三人の大統領は、Niceto Alcata Zamera、Manel Azana、Juan Negrin(全てイエズス会で訓練された)で、ヴァチカンのスペイン共和国に対する干渉を阻止するための、5つの法律をスペインにおいて通すことを要求していた。
1. 全てのローマ・カトリックの財産は国有化されなければならない。
2. 全てのローマ・カトリックの教会は課税されなければならない。
3. これからは司祭が所有する学校は作らない。
4. 全ての学校、男女修道院はスペインのコントロール下に置かなければならない。
5. プロテスタントを宗教と認めること。
2. 全てのローマ・カトリックの教会は課税されなければならない。
3. これからは司祭が所有する学校は作らない。
4. 全ての学校、男女修道院はスペインのコントロール下に置かなければならない。
5. プロテスタントを宗教と認めること。
フランコの政府は1937年8月3日にヴァチカンによって承認された。それは市民戦争が終わるちょうど20ヶ月前だった。
それで今やイエズス会は彼らの3方向のフロントを持つことになった。これらの男達は「信仰の擁護者」となった。
今まさに新しい聖戦における、血が世界中で流される準備が整った。
ついに異端審問が行われる道筋が整った。
ついに異端審問が行われる道筋が整った。
リベラ:「ドイツのカトリックは規制の下にあったが、プロテスタントの教会に加わり始めた。これによって、これから何十年もの間のイエズス会の考えに影響を及ぼすことになる、邪悪な計画をしでかすことが決定的となったのだ。」
(つづく)
原文はこちらで見れます↓
http://www.fmh-child.org/Godfathers/Godfathers4.html
http://www.fmh-child.org/Godfathers/Godfathers4.html