ヒトラーは彼の友人にこう言っている。
多くのローマ・カトリックの司祭は諜報部の黒い制服を着ていた。
650万人のユダヤ人が拷問に掛けられ、死んでいったのは、主にこの組織を通してである。異端審問はどんどん進行していった。
犠牲者達に負わせたものすごい拷問と殺戮は、ほとんど書くのに忍びない。多くの司祭達が、カトリックの「ウスタシ」の殺戮部隊のメンバーだった。
ユーゴスラビアは彼の犯罪を償わせるために、ほとんどArtukovicを引き戻しかかったが、ローマカトリック組織(スペルマン枢機卿)のお陰で、カトリックはアメリカの出入国局と諜報組織をコントロールし、ユーゴスラビアに逃亡犯を引き渡すのを阻止した。
部隊全体は同盟ラインを通して運ばれた。それはヴァチカンの旗を付けていた。同盟軍は、その役目は修道女や司祭や修道士を、殺されないよう助けるためだと教えられた。
ブルーアーミーはベルリンを守りながらドイツ人と戦った。アドルフ・ヒトラーは自分は負けたと知った時、自殺を決行し、海軍将官のKarl Doenitz(善良なローマ・カトリック)がナチ・ドイツの指揮をとった。
ナチが約束していたように、ブルーアーミーがスペインへ戻ってくる代わりに、海軍将官Karl Doenitzはその列車に載っているドイツの金を取り上げ、ヴァチカンのため、スイス銀行に収めるためスイスへと送った。
ブルーアーミーは裏切られた。生存者のほとんどは、結局ロシアにある刑務所へと辿り着いた。
彼らが教皇の旗を見ると、列車は検閲なしに通過したのだ。
わずかなブルーアーミーの生存者で、スペインに戻った者は、ドイツの金についての本当の話を、確実に世界から秘密のままにしておくために、撃たれるか精神病院に入れられた。
しかしこの陰謀の一部を担っていた特別な将校達は、栄誉のうちに帰還し、その労によく報いられたのである。
(つづく)