天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

病む人々

自分もすぐ病むんですけれど。

40という大台を過ぎて、いっそう肉体的に傾いてきたと感じます。

なんか老化するのが人より早い気がする…

ちょっと気分が悪く吐き気がしたので、寝転がって、神様~とまたもや泣きついていたら、

気づくと不思議と気分が良くなっていました。

ご飯食べたせい?

こんなんで神様をすぐ呼びつけていいのだろうかと思うんですが。

今現在、世捨て人みたいな状態でいるので、頼るお方が洒落抜きで神様しかいないと感じます。

(普通だったら、ここで胃薬飲んだり医者に行ったりするんでしょうけど。)

家族や友人や関わって下さる教会の人達は、変わりなく周りにいるんですけどね。

Kさんの所にいればよかったのに、なんでわざわざ自分を追い込むことしてるんだろうと思います。

京都にも知り合いがいないので、街で出会う人々との何気ない会話が心にしみます。

和歌山に来たばっかりの時を思い出します。

いや、和歌山に最初いた時の方が気持ち的に大変だったかな。

大変だとはいうものの、今何故か、

心の奥底にどっしりとした平安というか、楽天的な気分があるんですよね。

最近よく会うアパートのおじさん(やっぱり年配!)とも、ちょっとづつ心の通う

言葉を交わせるようになってきたのがうれしいです。

このおじさん、県外からやってきて、26年間私が今住んでいるアパートにずっと住んでいるらしいです。

この方足が悪いのです。(右と左で高さの大幅に違う靴を履いておられます。)

おじさんを見ていると、障害を持っているのにここまで頑張って、

真っ直ぐに生きてこられたんだな、と感じます。

おじさんが言うには、もう一人の別のおじさんがいて、

その人は事情があってやはり県外から来られたんだそうです。

ここはかなり安い賃料のアパートなので、生活保護の方とか訳ありの方が集まってくるのでしょう。

自分も訳ありっちゃ訳ありだな。

人生長くなってくると、一人ひとり色んな事情を抱えるようになり、

山あり谷あり、大変な中を生きているんだなと思わされます。

ところで隣の人は相変わらずヘラヘラ笑っています。

実は2回ほど恐い思いをしました。

どっちとも自分が悪かったのですが、

1回目は、夜中の11頃にミニテーブルの位置を変えようとして、

テーブルを引っ張って、ギギギギギーと音を2回ほど立ててしまったのです。

そうしたらガン!と隣の住人に壁を叩かれてしまいました。

2回目は、やはり真夜中に洗濯物を干そうとして、

ベランダの窓を何回も開けたり閉めたりしてしまいました。

そうしたら隣の住人が自分のベランダの窓をガーッと開けて、私と隣の住人のベランダを

隔てている防火壁を、ガン!と叩きました。

この時はさすがに乗り越えて来るんじゃないかと思って、

あまりの怖さに、布団の中でカチーンと凍りついてしまいました。

「自分だってテレビや音楽の音大きくして聞いてるじゃん…」

と心の中で抗議しましたが、怖かった~

いや、冷静に考えると自分の方が悪かったです。

まだ隣の人がどんな人なのか顔も見たことないのですが、その夜青ざめた顔の彼が夢に出てきましたよ(笑)

妹にこの話をすると爆笑されました。

管理会社の人に聞いたら、今までこの人が他の住人と何か問題を起こしたということは無かったそうです。

壁がペラペラみたいで、変な独り言まで聞こえたりするのですが、

なんとこの前は、寝言でもヘラヘラ独り言を言っているのが聞こえてきました。

彼の人格でない者が何か言わせている感じがしました。

ある時、日中に彼がめずらしく事務的な電話をかけているのが聞こえてきました。

あのヘラヘラした感じはまるでなく、しゃんとした真人間(失礼!)のような対応でした。

別の人格が自分の中に入っていたら苦しいものなのかなあ・・・?

実は叔母(母の姉)の一人がこの人と同じような症状を持っていました。

やっぱり間段なくヘラヘラと笑う人で。

精神病と診断されて、長い間薬を飲んでいたのですが、

私の目からみたらやはり憑りつかれているような感じでした。

叔母さんは人の善意の気持ちも悪く取るところがあって、嫌だな~と思っていました。

なので母とも折り合いが悪く、ずっと行き来していませんでした。

その叔母も歳をとり、入院することになりました。

母が祈りの中で示されたのでしょう、この叔母のことを今までなかったくらい心から祈ったそうです。

そうしたら不思議なことに、お見舞いに行くと、顔つきが穏やかになっていて、

嫌がっていた聖書の話を聞いてくれたり、讃美歌まで一緒に歌ったりしてくれたそうです。

(叔母は創価学会の信者です。)

母は、まるで病気になる前の優しい姉に戻ったみたいだった、と感激していました。

世の中病む人々が多いですね。

その中で神様を見出していくんでしょうけれど。

神様を見出さなかったら人生地獄のようだろうな。



わたしは、わたしを愛する者を愛する、わたしをせつに求める者は、わたしに出会う。 (箴言 8:17)

それは、わたしを得る者は命を得、主から恵みを得るからである。
わたしを失う者は自分の命をそこなう、すべてわたしを憎む者は死を愛する者である。(箴言 8:35-36)

悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめるであろう。(詩編 50:15)



自分が最高に具合が悪い時とか、必死になった時、出てくる心の叫びが、

「生きて働かれる創造主なる神様!全知全能の父なる神様!!
どうかお見捨てにならないで下さい!お救い下さい!
私の苦しみをあなたはご存じです!!
~(ここに具体的な叫びや愚痴が入る)~
イエス・キリストの御名によって祈ります!!!!」

もし今病んで苦しんでおられる方いましたら、騙されたと思って神様に叫んでみて下さい。

自分は見苦しいくらいに内面で叫びます。

この叫びは親や友人たちには受け止めることはできません。

結果はすぐにやって来たり来なかったり。

来ないと思っていても、気づくと後からやって来たのを発見したりします。

あら、書き始めてから意外な展開になって話が終わった。