「イスラエル人に告げて言え。
わたしがあなたがたに与えようとしている地に、あなたがたが入り、
収穫を刈り入れるときは、収穫の初穂の束を祭司のところに持って来る。
祭司は、あなたがたが受け入れられるために、その束を主に向かって揺り動かす。
祭司は安息日の翌日、それを揺り動かさなければならない。」
(レビ記23章10~11節)
今日の朝大阪・京都で地震がありました。
大阪は震度6、京都は震度5でした。
震源地は大阪北部で、京都府と大阪の境になっている場所でした。
揺れが収まらずどんどん強くなっていくのを感じて、すぐに「神様だ!」と思いました。
実は昨日の夜、この日記に書こうとしていたことがありました。
私の師匠が昨晩イギリスから来たユダヤ人の一行35人に、
古代イスラエルと日本のつながりと、イエス・キリストの救いについて
講義をすることになっていたのです。
彼らは古代イスラエル人の痕跡を見学するために、わざわざ日本にやって来たのです。
彼らは近畿地方に5日間滞在する予定になっています。
またとない機会なので、私の母と叔母にも参加してもらい、そのことのために祈っていました。
確か今年の3月頃、師匠の腰痛がひどくなってしまい、
このユダヤ人のツアーのガイドという大きな働きをするのが危ぶまれていました。
祈って下さいという連絡を受けたので、数日かけて祈っていたのですが、
祈りながら神様に届いているという感触がありました。
数日後、師匠から徐々に痛みが取れてきて、
ほとんど支障がないようになってきたという連絡を受けました。
そのようにして準備してきた今回の大事なユダヤ人ツアーでした。
彼らに講義した次の日の京都の地震。
これは神様の世界において何かつながりがあるに違いないと思いました。
上の聖句の箇所は、大阪の叔母が私の所でやっている集まりで証してくれたものです。
昨年、フリーで活動している神主の方に、大祓の実演をやって頂いたのですが、
その時神主の方がユサユサと幣を揺さぶっているのに叔母が着目しました。
「あのユサユサさせているのって、一体何だろうね。」
後日開いた集まりの中で、叔母は神主のこの姿を旧約聖書のレビ記の記述と重ね、
「揺って捧げるという動作はここから来ているのかもね。」
と語っていました。
この動作は聖書用語で「揺祭」(ようさい)と言うのだそうです。
霊的に揺さぶりをかけるとか、ふるいにかけるというのは神様の方法です。
眠りこけた人間の目を覚まさせるために、そうなさるのだと思います。
昨日の地震直後に叔母から来たメールに、
「これって揺祭?」と書かれていました。
ところで、京都の街は千年の都というにふさわしく、大変盤石な地で、
地震なんてほとんど起きないのです。起きたとしても1~2年に一度あるかないかで、
しかも震度1程度なのです。雨が降っても北海道の豪雨と比べるとぽつりぽつり、
雪が降ってもすぐ溶けます。風が吹いてもはんなりで、洗濯物も滅多に飛ばされません。
しかし、揺さぶられなさすぎると何かが停滞し、人は驕り始めます。
(つづく)