天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

叔母の異言(1)

律法にこう書いてあります。「『私は異なった舌により、異国の人のくちびるによってこの民に語るが、

彼らはなおわたしの言うことを聞き入れない。』と主は言われる。」

それで、異言は信者のためのしるしではなく、不信者のためのしるしです。

(コリント毅隠粥В横院檻横押


2週間ほど前に叔父が天に召されました。

肺がんを患い、もうすぐ5年目になる闘病生活を送っていました。

叔母(例のパワフルな大阪の叔母)は、最後まで立派に叔父を看病し続けました。

叔父は生涯通しての躁うつ病を患ってもいました。

叔父の躁うつ病を通して、叔母と叔父は病気を治したい一心で

キリスト教信仰の扉を叩きました。

亡くなる2日前、叔父は興味深いことを言っていたようです。

3番目の息子さんが、かろうじてそれを聞き取っていました。

「白い衣・・・宇宙・・・」

そして亡くなる数時間前、最期に発した言葉が、

「本当はね・・・本当はね・・・」

この続きを言おうと、叔父は何度も何度も挑戦しましたが、息が続かず、

結局この先を言うことはできなかったようです。

叔父が亡くなってから、これらの言葉の続きは何だったのか、残された人々で想像し合いました。

「『本当はね、お前のことが一番怖かった』と言おうとしたんじゃないの」

と叔母が言った時には、皆で大爆笑しました。

叔父が亡くなる数日前、私の母と私が一緒に家庭礼拝していて、

叔父のことも祈っていました。祈りの中で、

「神様が叔父に天使を遣わし、その手を引いて安全に天国へと導いて下さいますように。」

「長く苦しまずに安らかに天国へと行くことができますように。」

などと神様にお願いしていました。

私の母(叔母とは姉に当たる)は、

「本当はね、もう白い衣の天使に連れられて宇宙を見て来たんだ。天国は本当にあるよ。」

じゃないのか、と想像していました。

私は「本当はね、お前にたくさん謝りたい(または感謝したい)ことがあったんだ。。。」

じゃなかったのかな、と思いました。

眠い・・・もう書けない。続きはまた明日。

(つづく)