さっき何気なく携帯で教会の牧師とクリスチャンを批判するサイトを読んでいたんですが、
言われていることは全くその通りだよなあと思いました。
批判している人の言葉が下品で、途中で嫌気が差したけど。
教会は社会常識から外れた、特殊で不健全なコミュニティになってしまうから、
長居せずに途中で出ろと。
神学的な教えが汚されている、とういう根源的な問題もありますが、
社会生活の経験がほとんどない人が牧師になったりすると、色んな問題が出て来ると思います。
自分自身が見えておらず、御言葉を現実的に応用するという段階になって、
それができない人も多いかもしれません。
自分が批判されることにも慣れていないようだし。
社会に出ると周りからめちゃくちゃ注意されますよね。
ユダヤ教のラビみたいに、牧師になれる資格は50歳以上で、
社会経験豊富な人とか条件を厳しくしたらいいのかも。
また、教会には(自分も含めて)基本的に病んだ人が集まってくるので、
実際肉体的・精神的に健全な人の方が少ないかも。
人間の罪のために命をかけて下さったイエス様、というご存在は素晴らしいですが、
人が召されたならば、自分の命を懸けて信じていかないと、
その人は何の役にも立っていないことになるのかな、と思いました。
(塩気を無くしたら人に踏みつけられるだけである、とありますよね)
自分の命を懸けているような、真剣な人が人を動かします。
社会でも教会の中でも同じですよね。私もそういう人が好きです。
神様の業や霊が働くのは、正にそういう人だよなと思います。
でも自分がそうなっているのか、とその真剣な人を見て思わされます。
なので、神様は自分の中途半端な気持ちを焼かれるため、
あえて自分を困難の中に置かれるのだと思います。
(神様を信じていない人からは気のせいじゃないの、とか自分が自らそうしてるんじゃないのとか言われそうですが)
うちの母はクリスチャンで、自分も自然と神様を意識するようになったのですが、
身近で見てきて彼女の人生は戦いの連続でした。それも激戦の。
信仰によって、あえて困難な道を選ぶ姿も見てきました。
日本女性は男性よりも苦労を強いられることが圧倒的に多く、
男性はそれをほとんど意識していないのではないでしょうか。
精神的に女性の方が早く大人になりますが、日本男性は大人になっても
子供みたいな状態の人が多いと感じます。
こういう状態なので、結婚して早くにもしくは何年も経ってから
離婚してしまうのは当然だと思います。
両者が精神的にアンバランスだからです。
そういう苦悩の中で女性は教会の門を叩きますが、実際教会には圧倒的に女性の方が多いです。
ということは、女性の方が圧倒的に苦悩しているという風に私には見えます。
(霊的なことに女性の方が敏感、という特性もあると思いますが。)
もちろん公平に見て、男性にも相当な言い分があると思いますが。
教会という、戦いのない(本当は戦わないといけない)生ぬるい場所だけで育ったような
牧師や子弟は、社会経験をしていないので、傷つくまで打たれるという経験が、
激しい社会生活を送っている人から見れば、全然足りないように見えます。
そういう人は聖書の言葉を、ただ口先で教えるのと実行するのとでは、
天と地ほどの隔たりがあるということに、一生気づかないかもしれません。
自ら生ぬるいと気づき、既得権益にどっぷり浸かった状態を捨てるのでなければ。
そういう人が語る言葉は生気のないものになってしまいます。
子供は騙せますが、大人は騙せません。
だから、人は傷つくまで打たれて、初めて一人前になれるのだなと思います。
意識的に神様を信じていなくても、社会でもまれて傷ついて、それでもまた這い上がって…
という風に来た人は、知らず知らずのうちに魂が磨かれているなあと感じます。
牧師とか教師とかいう立場にある人は、人よりも打たれる経験が少ないので、
人間的にそれほど磨かれていないなあと思う人も多いです。
私もすっかり、社会でもまれた経験のない人が語るお説教が嫌になってしまいました。
その人の教えを聞きに行くというよりも、集まるのを止めてはいけないという御言葉があるし、
神様を知っている本当のクリスチャンに会いたいから、教会に行くというのが大きな動機だよなあ。
「傷つくまでに打てば悪い所は清くなり、むちで打てば心の底までも清まる。」(箴言20:30)