これだけじゃないんです。
知らない土地に来たらまず教会!と思って、和歌山の時と同じように、
近所の教会へ行ってみることにしました。
変な教会ではありませんように・・・と祈る気持ちで行くと、50年以上も牧会をしておられるという
牧師先生と、その奥様が快く迎えて下さいました。
自分で天井を貼ったんですよ、と手作りですが趣のある教会堂を紹介してくれました。
「この教会は貧しい人達が集まる教会で、お金持ちではないんです。心を病んだ人もよく来るんです。
共に助け合いながら暮らしたいと思っているんですよ。」
というお話を聞きながら、修道士のKさんみたいなことを言っておられるなあと、考えていました。
「最近は分裂病を患った男性も来てるんですよ。」
と仰いました。ああ、この教会だったら弱い人も集まれるくらい敷居が低くて、
人数も少なそうだし落ち着いて礼拝できそうだ、と思えてきました。
しかし、聖書は共同訳で、週報に「エキュメニカルの祈り」と書いてあることからして、
カトリックと手を組み始めようとしているのか・・・?という疑念もあったんです。
礼拝が始まると、玄関の方からシャリーンと音が聞こえ、太った30代位の男性が入ってきました。
顔つきを見ると、「あ~この人も憑りつかれているよ」と直観が走りました。
手には山伏とか修験道の人が持つ、鈴の付いた杖を持っています。
どっかと一番後ろのソファーに横たわり、どことなく横柄な態度です。
先生を押さえつけるような態度で威嚇し、お説教中も謙虚な態度で耳を傾けるというよりも、
批判したり、あげあしを取ることに終始して、礼拝の邪魔をしているとしか思えませんでした。
邪魔はするんだけれども、同時に構ってほしいみたいな。
先生もその態度に「奥に横になれる部屋があるから、礼拝中はそこにいなさい」とか
厳しく言っておられましたが、それにも従いませんでした。
礼拝が終わり、お茶の時間になって、席を丸くしてお喋りしたのですが、
その男性が私の隣になってしまい、やだなーと思っていると、
こちらが触れてほしくないことや下品なこと、
自分が思いついた先からもう言いたい放題でした。
人に喧嘩ふっかけるようなこと言う割には、しきりに障碍者手帳でどこでもタダになるから
一緒に施設に行こうと言ってきたりしました。
大げさなジェスチャーと喋り方は、ヒップホップの影響を感じさせました。
「音楽はいい。目に見えるものはごまかせるけど、音はごまかせない。」
「人は眼からでも嘘をつける」
と鋭いことを言ったりもしました。
牧師先生が言うには、彼は山での修行とか、あちこちの宗教団体を渡り歩いてきたそうです。
人生の壁にぶつかって色々悩んできたのでしょう。
無差別に修行してきて、変な霊をいっぱい取り込んでしまったのかもしれない、と思いました。
自分はクレイジーキャッツだと、自分がおかしいことも自覚していました。
気づいたらもう一人の若い女の子は別の部屋に牧師夫人と引き下がっており、
自分もこの人に深入りしたら危険だな・・・と感じ始めました。
自分がもっとしっかりした神の人だったら、
この人に向かって「悪霊よ出て行け!」と宣言できるのに、と残念な思いでその教会を去りました。
(実は悪霊を追い出そうとしてできない夢をよく見る)
それともこの教会に留まることが神様の御心だったのかなあ。
和歌山に行っても京都に来ても、どうも障害をもった人との縁があるようで、
神様は自分に何を望んでおられるんだろうと、思わずにはおられません。
(つづく)