天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

京の都へ上る(1)

実は今月1日から京都で暮らし始めております(^^)

自分の人生一体どうなっているのだ。

ゆっくりと生活するに良い所を探していたので、

もしかしたら和歌山から他の所へ移るかもしれない、

と自分でも思っていたし、他の人にもそう言っていました。

しかし本当にそうなるとはなあ・・・

和歌山にはちょうど一年いたことになります。

前の公務員の仕事が1年という任期付きだったので、ちょうどその契約が切れて、

京都に移るタイミングで次の仕事が見つかればよかったのですが、見つからなかった。

なので現在無職なのです。危険だ・・・

冷静に考えると断崖絶壁な状況なのに、この落ち着きようは一体何なんだ。

基本小心者のくせして、冒険慣れしてついにおかしくなったか。

借金したりホームレスにならないように、早く仕事が決まればいいのですが。

和歌山では本当に皆自分に良くして下さって、人の心の温かさを感じました。

関わった方々に、何か必要以上に良く思われていた気がして、

さすがに途中からこれは何か変だぞと気づいて、

これって神様が陰で働いておられるせいかなあと思い始めました。

相変わらず自分はちっぽけな罪人で、神様に対してほんのわずかしかお返ししていない

ような人間なのですが。

今回簡単に和歌山から京都行きを決めたわけではありませんでした。

和歌山へは自分で決めたようで、神様にこの地へ引っ張ってこられたような気がしていたのですが、

その和歌山をこうもあっさり去ってしまっていいものかという悩みが強くのしかかりました。

これは別途書こうと思います。

ところで聞いて下さい!

このブログを続けて読んで下さっている方はご存知かと思いますが、

和歌山で暮らし始めたアパートの住人の一人が、よく吠える人で、

強迫神経症発達障害ぎみの印象のある人でした。

最初怖かったのですが、だんだん麻痺ってきて、最後にはかえって健常な人より

礼儀正しくて素直な人なんだという印象に変わりました。

で、京都に引っ越しした当日、荷物を解いていると、

すぐ近くの部屋から、ハウンドドッグの大友康平の歌声が聞こえてきました。

うるさいなあ、共同生活するということは音も我慢しなくちゃならないのか、と感じていました。

(和歌山の時は自分が最上階で、鳥の鳴き声がよく響く静かな環境だった)

その数日後、また音楽番組を大きな音で聞いているようで、

笑い声も一緒に聞こえてくるようになりました。

なんか下品な笑い声だったので、「あれ?聞き間違いかな?」と思いました。

お笑い番組を聞いて笑っているのかな、と思いましたが、やっぱり音楽番組を聞いているようです。

そのうち繰り返して笑い声が聞こえるようになり、やっぱりどこかヘラヘラと下品な笑い方です。

「まてよ・・・」

と思い、壁に耳をあててよく聞いてみました。

案の定テレビ番組とは関係のない所で、笑ったり独り言を言ったりしています。

まぎれもなく現代の医学では精神疾患、クリスチャンからしてみれば悪霊に憑依された人でした。

またか!

こういう人の隣の部屋にあえて住まわせるという神様のご配慮を感じ、

何か可笑しくなってしまいました。

(つづく)