年末に父が来たので、一緒に教会へ行ってみることにしました。その教会で長年牧会していた牧師さんは、私の母を信仰に導いてくれた方でした。母はこちらに訪問した際にその老牧師に会いに行くため2度ほど訪問したことがあるようです。母はとてもこの牧師さんのことを尊敬していました。
私もその教会の様子を聞いていました。母は私のことをその老牧師(現在90代?)に話しておいてくれたようで、老牧師はわざわざ私にも手紙を下さったのでした。それで以前から一度挨拶に伺わねばと思っていたのです。ちなみに父は関東に独居しており、月に一度近くの教会に行くようになっていました。
行く前にその教会のホームページを見て、年末年始はやっているか、どうやって行くのかを確認しました。その時「本当にここに行っていいんだろうか」と何故か一抹の不安がよぎり、神様に祈ったりもしてみました。そもそもHermit(ハーミット=隠者)タイプで過ごそうとしている自分が、今さら他所の教会をウロウロするべきではないと思っていました。
父を連れて行くには、もっと他の適した所があるのではないかと思い、もう一つの選択肢を考えていました。そこは私の住んでいる場所から割合近くて(でも徒歩で15分位かかる)、面白いエピソードがある場所でした。
そこというのは、近所を何気なく散歩していて、いきなり目の前に現れた教会でした。その素朴な佇まいや空気感から、ここ何か好きだ、懐かしいと感じ、「ここに神様おられますよね。」と心の中でつぶやきました。すると次の日、ポストの中にその教会のチラシが届いていたのです。今までそんなこと一度もなかったのに。
この時「あ、やっぱりそうでしたか。」と思いました。私の住まいからその教会までの道のりは、決して近いとは言えず、生活圏としてはむしろ互いに隔絶した感のある場所です。神様というか天使が私を上から見下ろして、私がブツブツ心の中で言っていたことをキャッチしたのだろうと思いました。
また別の日の夜、仕事帰りにその教会の横をあえて通って帰りました。その時も、「やっぱりここに神様はいるよなあ。」と心の中で思って通り過ぎました。するとまた程なくしてそこの教会のチラシがポストの中に入っていました。
面白いことしてくれると思って、最近はあえてその教会の脇を通るようになりました。この話を妹にすると喜んでくれました。神様は一人で信仰を守るのはよくない、こっちに来なさいと言っておられるのだろうか。でも隠者だからなあ・・・
その教会のことが頭に浮かんでいたので、父を連れて行くのはむしろこっちの教会の方が相応しいのではないかと思い、できるだけこちらに行こうと思っていました。しかし父が軽く食事してから教会に行きたいと言ったので、時間的に間に合わず、結局昔母がお世話になった老先生のいる教会に行くことになりました。
会堂に入ると、受付近くに年配の女性がいて、その人を見ると「私はあなたに教会人生の中で何度も会いましたよ」という思いが湧いてきました。子どもの時から身近にいたような、温かく素朴な雰囲気の信者さんです。しかし大きめの礼拝堂に比較して、席がガラガラなのに驚きました。
礼拝は既に始まっていて、若目の男性の方が礼拝をリードしていました。何年かぶりに出席した教団を持つ教会の礼拝です。その司会者の方のアメリカナイズされたような演出っぷりに驚いてしまいました。「あちゃーこりゃ駄目だ!」
そして女性の牧師さんがお説教を始めました。やっぱりちょっと芝居がかっているぞと思いながら聞いていると、話に熱が入り出すにつれ、声に何とも嫌なひねくれた趣きが感じられるようになってきました。話しの内容は自分達がいかに攻撃されており、そのためにいかに傷ついてきたか、それでも忍耐を持ってそれを耐え忍ぶことにより、信仰は練られるのだというものでした。
女性の牧師さんはこれでもかこれでもかと、いかに自分達が弱く信仰がないかということを執拗に訴えていましたが、話しの内容は聖書的には正しくとも、その声音は信仰を鼓舞するというよりも、持っている小さな信仰さえもひねり潰すような印象を受けました。聞いているうちに何とも言えない嫌~な気持ちになって、自然と目くじらが立ち上がってき、これはひどいとうつむかずにはおられませんでした。
何かがその説教者の中でウネウネとうねっている感じ、そう、これは腹の中で蛇がとぐろを巻いているイメージだと思いました。「この人もやられている・・・」
自分や他の信仰を持つ方々がこうして何年もインターネットを利用して、トロントブレッシングとかには悪霊の働きがありますよ、現代的な教会の運動には罠が仕掛けられていますよ等々警告し続けているのに、結局現場には届いていなかったのか。教団の上層部の方達はそれを深刻に受け止めていなかったのか。未だ問題の所在が分からずにいるのか、皆何をやっているのだ、そんなにもろくはかない信仰なのかと思いました。悪霊を撥ね退けるのが教会の役目のはずなのに、悪霊とダンスしちゃいかんだろう!
やっぱり教会(特に霊的なことを重視する教会)への攻撃は続いている、やはり説教者からターゲットにされるのだとの感を深め、母が昔お世話になった老牧師がいるのかも確かめず、そそくさとその教会を去りました。ちなみに帰る直前で男性の牧師さん(女性牧師の夫)が声を掛けてくれましたが、この先生は正常だ、と思いました。(多分教界ではある働きをしていて有名なはず)
父は耳があまりよく聞こえず、「あの女の牧師さん自分に酔っていたみたいだな。」と笑っていました。これを聞いて逆に耳が聞こえなくてよかった、やっぱり神様からチラシをもらった教会に行くべきだったと思いました。
イエス様はこの世の戦いは悪の霊との戦いだ、と仰いました。教会はその防波堤であるべきです。でもこの霊的な戦いがあることすら知らない日本の教会人はたくさんいるのだろう。日本の皇室が悪魔崇拝者に握られている(?)のと同様、敵はまさにここを突いてくるのだとの思いを深めた年末の教会訪問でした。