天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

外見と内面のギャップ

最近顔のことをよく書いているので、それ繋がりで。

自分のことを書くのはあまり嫌なのですが・・・

私は外見が怖いらしく、人から結構恐れられます。

「人は見た目じゃねー(怒)」

とよく思うのですが、自分も顔で人を判断している所あるからなあ。

生まれつき、普段から内面の動揺を強く感じるタイプなので、

その内なる戦いが外面に出ているようです。

本当は苦しんでいるのに、それが人には怒っているように見えるらしい。

これは当の本人と神様しか分からんことだな、と諦めています。

(親でも理解してくれなかった・・・)

ですが、逆に困るくらい好かれることもあり、一体この差は何なんだ!と驚くことがあります。

かつて自分のことを「ヘビ」っぽいと言う人もいれば、「羊みたい」と言う人もいました。

真っ二つの評価に、自分の中に2つの霊が行ったり来たりしているのか?!

と不思議に思うこともありました。

そんな自分と気が合うのは、ふんわりとした雰囲気の優しい人みたいです。

そういう人は、私の怖い外見にも関わらず、違和感なく接してくれます。

でも働く女性に、このタイプはなかなかいない!

どうも自分を押し出す攻撃的な人は苦手みたいです。

今窓口業務をやっているので、毎日色んな人がやってきます。

あらかじめその人の写真を見て、

「ああ、この人はこんな感じの人だろう」と目星をつけて接すると、

よくそれが裏切られます。

経験から言うと、不思議なくらい、怖い雰囲気で写っている写真の顔の人の方が、

より人間味があったりするんです(自分を弁護するような話ですが・・・)。

逆に柔和な顔つきの人の方が、意外と内面が恐かったりもします。

内面が顔にほとんど出ない人もいますね。

以前の職場で、とても綺麗で優しい顔の女性がいました。

その人は自分と同じ教会に通っているクリスチャンでした。

ですが、あまりその人と接することがなく、その人がどういう人なのかよく知りませんでした。

しかし、周りの人の評判はすこぶる良くないものがありました。

ある時その人と車に同乗することがあって、とても怖い思いをしたんです。

外見だけで判断して、この人は優しい人だろうという想定で、というか普通の流れで、

こちらがフレンドリーに話かけても、その人は反応を示しませんでした。

その時感じたのは、この人は心が無いというか、人の話に関心がないというか、

こちらの存在を無視している、ということでした。

あんなに居心地の悪いを思いをしたのは、生まれて初めてでした。

その印象は強烈に残っていて、今これを自分に書かせている位です。

お互い苦手だなと思っていても、人間何らかの反応を示すはずですよね。

後でゆっくり考えると、その人は皆をまとめなきゃいけない立場にあり、

心を無くすくらい、プレッシャーがかかっていたのかもしれないな、と思いました。

ですが、あの時のしらーっとした空気というか、ひんやりした空気は、

二度と味わいたくありませんでした。

人に関心のない人がいますが(男性に多い)、

神様から自分の足りない所を埋めてもらうように、願った方がいいと感じることがよくあります。

神様の目からご覧になって、願わないこと自体憤りの対象です。

生活や仕事の強いプレッシャーからなのか、人間らしい心がもともと少ないのか、

同じ人間でも、たくさんの愛を振り撒いている人と、自分だけの世界に閉じこもっている人と、

天と地との差があると思います。

生まれたときから能力が高く、内面の動揺も少なく、特に致命的な欠陥もなく

生きてこれた人は、後になって人の痛みに鈍感になる人も多いですよね。

なので、そういう人の表情は柔和だけど、内面の磨かれ方が足りないと感じることがあります。

あれ、なんか愚痴っぽくなってきたぞ(笑)

話の風向きが怪しくなってきたので、今日はこれにて終了。