天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

ギアチェンジ

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只今9連休のお正月休み。本日は最終日。

この間人間はいかに堕落しやすいか、身をもって知ることとなりました。

あかん、あかん、と思っても、体と心がいうことを聞かない。

神様を求める気持ちも、自分の堕落度に合わせて、
ひゅ~っと下降していくのが感じられました。

なんだか怖いような気持ちになって、今日は礼拝行きたくないな~と思いながら
しぶしぶ出かけました。

いつものように、心はだらけ切っていても、話だけは一生懸命聞いていました。

理解しているかしていないかは別として、
何故か子供の時から人の話をじっくり聞く方でした。

なので、今までお説教中に居眠りしたということはありませんでした。
(いや、睡眠不足で爆睡したことが一度ある…)

お話しに同調して、「そうそう、そうなんだ!」と感じていたら、
胸の中に飛び込んでくるものがありました。

文字通りふっと軽く飛び込んでくるような感じがして、
そうしたら胸が熱くなって、心が動いて涙が出そうになりました。

こういうときに、目には見えないけど聖霊って本当にいるのかな、と思います。
聖霊の働きは魂を揺さぶるものなのでしょうか。

そうしたら、頭というか目まで明るくなり、気分がしゃんとした感じに変わりました。

これは自分が感じたことです。

今までキリスト教を学問的に頭でこねくり回している人をたくさん見てきましたが、
百聞は一体験にしかずです。

自分は器が小さいので、揺さぶりもそれに見合ったものだと思いますが、
器が大きければ、神様の力も強く反映するのかもしれません。

今回のお説教は信徒代表の方が担当して下さいました。

話している途中で、その人のギアがチェンジしたのが分かりました。

その時に聖霊がその方に働かれたのかなと思います。

その方の話によると、「教会」は自分にとって必要ない、と考えて数年行かなかった時期があった。

その間自分の霊的力が失われ、ほとんどクリスチャンじゃない人と変わらなくなってしまった。

周りのクリスチャンの熱心な忠告や祈りがあって、教会に立ち返ることができたとのことでした。

今は教会生活が何よりも大切です、と言い切っておられました。

彼を見ていると、本当に教会生活をエンジョイしているように見受けられます。
顔というか額もピカピカしておられ、生き生きとした感じが伝わってきます。

聖霊がその方の内側によく働いておられるのかな、と思います。

聞いている人が、お説教を通して、得るものがあるかないかは、
神様から何かを掴み取ろうとする態度にもよると、最近感じます。

神様のことを人間が語るとき、神様の教えを暗くする迷いの多い余計な言葉が多いと感じます。
(自分もね^^)

聖書の言う通り、

「あなたは神の前では言葉数を少なくせよ」
「しかり、しかり、否、否とだけ答えなさい」

という態度が人間には必要なのですけどね。

今回も話の初めはだらだらと(失礼!)、弱い感じでお話ししていたのが、
急転直下、力強い証となり、最後は余計なものを加えずに、見事に締めくくっておられました。

今まで聖書のお話しを聞いてきた中で、お説教してくれる方の様子を見ていると、
そういう展開をたどることが度々ありました。

お説教についてとやかく書いていますが、お説教して下さる人からしたら、
やったことないのに、お前何様のつもりなんだって話しですよね。

私も職場で大人数の前で話さなければいけないことが度々あって、
その時人前で話す難しさを感じます。

神様の御言葉を人間が話すには、「ガキッ」と霊的なギアが、聖霊とお説教者の間で噛み合ったとき、
初めて無駄のないメッセージがもたらされるんだと、今回の体験で感じました。

それを願って教会に集う人も、正しいメッセージを頂くために、
お説教者のために祈らなければいけませんよね。

明日から娑婆での戦いが始まります。
その前に礼拝で心の準備ができて良かったー。

(写真は鳥居も真新しく新装開店した近所の神社)