天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

不思議な出会い(その5)

和歌山に来てから、あるグループホームにボランティアで夕食を作りに行き始めたのですが、

そこの主催者はカトリックの修道士さんなのです(掛け持ちでグループホームで働いている)。

その彼と、今回初めて信仰的な話をすることができました。

多分私はこの人と気が合うだろうと、彼を見た瞬間に感じたのですが、

身近に接してみて、やはりその期待は裏切られませんでした。

カトリックの修道士という立場に興味はあったのですが、

そのことについて、本人の口からべらべらとお話されないので、

あえて聞こうとはしませんでした。

昨日彼が考えているこれからのプランを聞かされて、

自分とそっくりのことを考えていたのだと分かりました。

すなわち、教会という枠をとっぱらって、障害のある仲間もそうでない人も、

皆で集まって、神様を礼拝して、自分が思っていることがあったら、

それを皆の前で分かち合って、共に助け合っていく

みたいな共同体ができたらいいな、ということでした。

まずは、その考えに賛同してくれるようなクリスチャンの仲間を集めたい、ということでした。

私のようなすぐ賛同してくれる同じ考え方の人は、いるようでいないと言われました。

それを聞いて、「そういう考えの人なら日本中に潜在的にたくさんいると思います」

と伝えました。

その修道士の方は不思議な雰囲気の方で、人間というより天使に近い気がする(笑)

初めてお会いした時から、この人には神様の霊が宿っていると感じました。

声にその人の魂の形が現れると思っているのですが、この方も素敵な声の持ち主なんです。

声からα波が出ている気がする(笑)

ごくごく自然に、社会的弱者に対する奉仕の精神が備わっており、

楽しんで奉仕されているように見受けられます。

「一緒に暮らすのが好きなんですよ」

と仰ってて、無理してやっているとかいうレベルではないんです。

神様この人に会わせるために、私を和歌山まで引っ張ってこられたのか?

前の職場で仕事していて、

「どこか遠くへ行かななきゃ…」

と考え始め、候補地に最初から何故か和歌山が頭にありました。

自分は人生の節目が訪れると、何故か無性に遠くに行きたくなる性らしいです。

当の本人にとっても不思議な性質です。

本当に神様が導いて下さっているのなら、神様が望まれた通りになっていくのでしょう。

ところでご飯づくりなのですが、当初の4人分から、現在ハードルが一気に上がって

6-7人分を作らなくてはいけない状況に追い込まれてしまいました。

家庭の主婦だったら分かると思いますが、この差は大きい!

7人分できりきり舞いになっていたら、私が通っている教会の婦人が、

仕事でなんと30人分を毎日作っていると仰っていました。

上には上がいる…

今度からその人に、大人数作るときのコツなどを伝授してもらおうかな。

毎回ぎりぎりまでメニューが決まらず、予算内に収めて時間までに買い物をし、

料理するというスリルを味わっています。

人によって好き嫌いがあるから、まとめるのが難しいんだよなあ…ブツブツ