和歌山に来てから、あるグループホームにボランティアで夕食を作りに行き始めたのですが、
その彼と、今回初めて信仰的な話をすることができました。
多分私はこの人と気が合うだろうと、彼を見た瞬間に感じたのですが、
身近に接してみて、やはりその期待は裏切られませんでした。
カトリックの修道士という立場に興味はあったのですが、
そのことについて、本人の口からべらべらとお話されないので、
あえて聞こうとはしませんでした。
昨日彼が考えているこれからのプランを聞かされて、
自分とそっくりのことを考えていたのだと分かりました。
すなわち、教会という枠をとっぱらって、障害のある仲間もそうでない人も、
皆で集まって、神様を礼拝して、自分が思っていることがあったら、
それを皆の前で分かち合って、共に助け合っていく
みたいな共同体ができたらいいな、ということでした。
まずは、その考えに賛同してくれるようなクリスチャンの仲間を集めたい、ということでした。
私のようなすぐ賛同してくれる同じ考え方の人は、いるようでいないと言われました。
それを聞いて、「そういう考えの人なら日本中に潜在的にたくさんいると思います」
と伝えました。
その修道士の方は不思議な雰囲気の方で、人間というより天使に近い気がする(笑)
初めてお会いした時から、この人には神様の霊が宿っていると感じました。
声にその人の魂の形が現れると思っているのですが、この方も素敵な声の持ち主なんです。
声からα波が出ている気がする(笑)
ごくごく自然に、社会的弱者に対する奉仕の精神が備わっており、
楽しんで奉仕されているように見受けられます。
「一緒に暮らすのが好きなんですよ」
と仰ってて、無理してやっているとかいうレベルではないんです。
神様この人に会わせるために、私を和歌山まで引っ張ってこられたのか?
前の職場で仕事していて、
「どこか遠くへ行かななきゃ…」
と考え始め、候補地に最初から何故か和歌山が頭にありました。
自分は人生の節目が訪れると、何故か無性に遠くに行きたくなる性らしいです。
当の本人にとっても不思議な性質です。
本当に神様が導いて下さっているのなら、神様が望まれた通りになっていくのでしょう。
ところでご飯づくりなのですが、当初の4人分から、現在ハードルが一気に上がって
6-7人分を作らなくてはいけない状況に追い込まれてしまいました。
家庭の主婦だったら分かると思いますが、この差は大きい!
7人分できりきり舞いになっていたら、私が通っている教会の婦人が、
仕事でなんと30人分を毎日作っていると仰っていました。
上には上がいる…
今度からその人に、大人数作るときのコツなどを伝授してもらおうかな。
毎回ぎりぎりまでメニューが決まらず、予算内に収めて時間までに買い物をし、
料理するというスリルを味わっています。
人によって好き嫌いがあるから、まとめるのが難しいんだよなあ…ブツブツ