天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

続・神様へのメール(1)

先日家庭集会をやったとき、古神道の流れを重んじる教会(そういう教会がある!)

に3年間所属していた人が来てくださって、色々お話しを聞かせてくださいました。

伊勢神宮の御垣内参拝を重視されていたり、祈りとは神社に感謝を置いていくことだ、

神様は私達とは次元の違う所に住んでいるお方なので、基本私たちと断絶されている。

なので神様に祈っても届かない。神様は直接手出しできない。

身近にいて私達のために働いてくれているのは、実は先祖の霊なのだ。

などとお話しされました。

この方のお話しを聞いていて、いかにも神道っぽい考え方だなと思いました。

でもキリスト教でそのことについて教えていないだけで、

先祖の霊的な働きの側面も、もしかしたらあるのかもしれませんね。

私の信じる神様は、個人的な訴えにも耳を傾けて下さり、

必要を満たしてくれるお方で、距離が近く感じます。

上の方の考えとは異なると思いました。

前にも書いたのですが、ある時何とも言われぬ気分の不調を覚えて、

移動中のバスの中で、神様に向けてバシバシメールを打っていました。

必死になって打っているうちに、瞬間的に不調が癒されました。

ある方が受け取った神様からの預言に、

「信じる者には天使が祈りを携えて上がる」

というのがあります。

この時、後ろにいる天使が私のメールをフムフムと読んでいて、

この人やばいと思ってくれたのか、神様に伝えるためにゼロコンマ何秒かの速さ

でザッと天に上がり、シャッと治して頂いたのではないかということをイメージしました。

自分の場合、聖人君子ではなくただの弱い人間なので、

祈ると言ったら主に神様に叫び声を上げることを意味しているのです。

人には言えないことを神様に喋ります。

悩みがあれば真っ先に神様に相談します。

悩みが深刻であればあるほど神様にお伝えします。

私のことを一番よくご存じであり、誠実な頼れるお方だということを

知っているからです。

なので自分にとっては、感謝を置くだけの、何かこう乾いた存在ではないのです。

祈りというものを勘違いしているかもしれないけれど。

もう一つ最近鮮やかに自分のメールに応答して下さったことがありました。

私の師匠が、東京で行われるヒカルランドというオカルト系出版社(?)の講演会に

行くと言っておられたので、その2日前に神様にメールで

「あなたのことを伝えるために行かれます。」

「その場を神様のご臨在で生き生きと満たして下さいますように。」

「聴衆に聖霊を注いで下さいますように。」

「あなたが祈りに答えて下さり、私が神様のことを再び崇めるようにして下さい。」

とお願いしていました。そしてすっかりこのメールのことは忘れていました。

講演会が終わった後に師匠からメールが来て、

「つとめが大成功でした。涙が流れて感激したとの人が数名でてきて、

未信者の人の心を神さまつかんでくださったと言うほかありません。」

と書かれていました。

これぞ神様の奇跡!と真っ先に思いました。

飛鳥昭雄氏が師匠の次のスピーカーだったそうですが、

最後反響の拍手がすごくて、次の飛鳥氏に悪いなと思われたそうです。

「でも神様の方が強いですからね、しょうがありませんね。」

と仰っておられました。

この報告を聞きながら、心の中で

「それ、神様が私の祈りに答えて下さったんですよ。」

とクスクスと会心の笑みでおりました。

スピーカーはこの時6人いたとのことで、

中にはきっと、ひやかし半分で参加された方も多かったことでしょう。

涙を流された方が、どうして涙が出るのでしょうと言われた時、

師匠が「それは神様があなたの心に語りかけて下さったんですよ。」

と言われると、ぎくっとされたそうです。

この「ぎくっ」は一体何を意味していたのでしょうか。

私が書いたこの時の祈りのメールは、5分の3が自分のことで、

5分の1が神様への感謝と罪の許しの願い、

最後の5分の1が師匠の講演会のことでした。

その最後の祈りに神様は答えて下さったのですが、

振り返ると何か恥ずかしい順番だなと思いました。

ですが、神様はご自分の栄光を表わされるために、

この祈りに答えて下さったんだなと感じました。

神様の素晴らしいご存在を皆に表わして頂くために、

この路線で祈っていけば、神様は聞いて下さるのだと思いました。

「神様っているのかな」

と思っている方がいらしたら、是非神様の名前を呼んでみて下さい。

神様はもともと近くにおられるのですが、

意識的に自分が近づけば神様の方も近づいて下さいます。

神様が生きておられるお方で、意外と身近におられるというのが

だんだん実感できるようになってくると思います。

神様がどう答えてくださるのか、祈りの答えを

皆さんも期待して待ってみてはいかがでしょうか。