天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

伊勢神宮を訪ねて(2)

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次にバスで移動して、内宮の方へと移りました。

外宮の雰囲気がちょっと残念だったので、こちらの方に期待しました。

それにしてもバス代が高い!

参拝客の落とすお金をあてにしてのことなのでしょうか。

内宮までの道のりの景色をぼーっと見ていたら、

かの有名なダビデ紋が入った灯籠が!

奉納した人とか企業の名前が灯篭に刻まれていて、わりと狭い間隔でずらーっと並んでいました。

途中で終わるかと思いきや、内宮の方まで切れ目なく続いていました。

大きな橋を渡り、ここ神社だったよな?と思うような
ちょっと違和感を感じる松の庭を過ぎると、

西行法師が「かたじけなさに涙こぼるる」と詠んだ、あの有名な五十鈴川のほとりに出ました。

かつてこんなきれいな流れがあったでしょうか。

なんて表現したらいいか分からないですが、

きらきらと透き通った、それはそれはきれいな流れでした。

小さな女の子が、「きれーい!」と感動して声を上げていました。

同感だ、と思いました。

五十鈴川を見れただけでも、ここに来た価値がありました。

神道は清めを重視します。

伊勢神宮はこの川があったからここに作られたのだ、と直観的に思いました。

すぐそばに小魚が泳いでいて、手で水をすくっても逃げません。

かつてこんなフレンドリーな魚がいただろうか、と思いました。

向こう岸には墨絵のような光景が広がっていて、

安っぽい言葉ですが、只者じゃない雰囲気が漂っていました。

伊勢神宮そのものは、人が多かったせいか、沢山見てきて神社慣れしてしまったせいなのか、

正直特別な神聖さは感じられませんでした。

神宮の社殿の内部に入れば、また違った印象を持つのかもしれませんが。

むしろ建物よりも、周りを取り囲む自然の方に目が行ってしまいました。

樹齢何千年という木々を見ていると、ただならぬ存在感があり、

まるで意志を持っているように思えてきます。

お爺さんのような巨大な杉の木の幹に抱きついている人や、

幹に耳をあてて音を聞いている(?)人も見受けられました。

こちらは五十鈴川の対岸の風景。

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神仙界と繋がっている?
木の間から天狗が顔を覗かせそうな雰囲気です。