天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

縄文文化と龍(3)

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(札幌で見つかった縄文晩期の板状土偶。約3千年前のもの。)

 

写真展をした時に、友人と大神(おおみわ)神社や伊勢神宮の話をしていて「絶対なんかいるよね?!」と盛り上がりましたが、「山の霊力」を読んだ後で思ったのが、大神神社には巨大な霊的蛇が、伊勢神宮は位の高い龍がいるかもしれないということです。

最近「三輪」という能をYOU TUBEで見てみました。能の主役(シテ)って、気品がありながらも怖い存在ですよね。「あれは三輪山や大神神社の主(ぬし)の存在を擬人化したものだろう」と思いながら見ていました。シテがわざとくぐもった声で台詞を言うのは、その存在があの世のものであることの演出なんだそうです。昔の人の方が霊的感度が高かったので、このような半霊半物質的なテーマの芸能作品もさらりと創ることができたのでしょう。

私が今月初めに訪れたH市の海浜地区の話に戻りますが、ありえない位の龍達が山の周辺から海岸地帯にかけて一斉に飛んでいるのを見て「何なんだここは!」と思ったのですが、どうやらここはその道の用語で龍穴(りゅうけつ)と呼ばれる場所らしいことが分かりました。どうりで数が多いわけです。(後日、ここの対岸の青森側の地名で、「龍飛崎」と呼ばれている所があるのを知った)

全国にある龍穴には必ず神社が建っていて、中でも主要な龍穴がある場所には、伊勢神宮とか諏訪大社とかの重要な神社が建っているそうです。ただH市の高台の一等地にあるはずの護国神社は、貧弱な印象で寂れかけていて、あまり大切にされていないように感じました。しかし街のシンボルの山にはどっかりと大きい龍が守っていて、その存在感が顕著でした。きっと護国神社の存在とはあまり関係ないのでしょう。

青森の三内丸山遺跡からH市のラインにかけて、縄文文化が盛んだったようですが、それと龍穴が何か関係しているのでしょうか。この一帯はUFO現象も目撃されやすい地域のはずで、奇跡のリンゴの木村秋則さんもここの地方出身です。木村秋則さんも龍が喋るのを目撃していますし、宇宙人にも会っています。ここは何かエネルギーの渦みたいなものが集中している特殊な地域なのでしょうか。

ちなみにこのH市はひと昔前、日本で住んでみたい街のアンケートで、全国ナンバーワンに選ばれたことのある街です。北海道の比較的小さな、歴史もさして古くないこの街に、なぜこのような人気が集まったのでしょうか。

今回この街を3日間かけて、郊外も含めゆっくり回ってみたのですが、街の雰囲気は清潔で明るく、すがすがしいものを感じました。龍といえばクリスチャンにとっては目の敵ですが、このすがすがしさは、彼らの存在が多いことも関係しているのではないかと思いました。(龍はマイナスイオンを纏っていると思っている。)ニュートラルな気持ちで素直な感想を述べるとそうなるのです。古い教会等の素敵な建物がところどころにあるので、それが街の印象を良くしているのもあると思いますが。

すがすがしいといえば、伊勢市を通過する電車の中でも同じものを感じたことがあります。伊勢市に向かう電車の中で、あるポイントから空の様子ががらりと変わり、すがすがしい様子になっていくのを「伊勢市に入ると雰囲気が変わる。なんでだろう。不思議だ。」とよく思ったものでした。

昨年訪れたK町でも、同じようなすがすがしさを感じました。ここは赤い龍が守っているという伝説のある地です。そこでは湾の上に浮かんで町を大きく守っている存在を見て取りました。

妹が聞いた話によると、スナックであるビジネスマンが「俺仕事で全国を周ってきて色んな土地を見てきたけど、K町が日本で一番好きだなあ。とにかく雰囲気が良くて、ここで暮らしてみたいんだよ。」と言っていたそうです。町の規模は小さく、取り立てて見るべき所もないような農業と漁業だけのこの地を、そのビジネスマンが何故そのように言うのか、妹は不思議に思ったそうです。

ところで最近は、宗教としてのキリスト教的善悪の二元論は、非常に分かりやすく全てのことを説明しやすくするけれども、あまりにも物事を単純化し過ぎているのではと思うようになりました。霊的存在は無数におり、その進化の段階も無数にあって、停滞しているようでも進んでおり、進んでいるかのように見えても停滞していたりで、人間がこれは悪い、これは善いと、軽々しく判断できるようなものではないと思うからです。

こう見てくると、何だか日本は龍だらけのような気がしてきます。ジャクリーン・ケネディはあえてイルミナティの統領のオナシスと結婚して敵の懐に飛び込み、我が身と子供達を守ったそうです。それと同じように、神様もご自分の民をあえて日本という龍の巣に飛び込ませ、彼らに守らせるようにされたのかもしれないと思えてきます。