天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

日本と龍の関係(3)

 紀伊国屋書店で「山の霊力」という興味深いタイトルの本を見かけて、思わず買ってしまいました。「霊」ものが好きなのはもう自分の性ですね。

 これは名著とされる本で、日本における山の霊的意味と役割が上手にまとめて書かれていました。この本の言わんとしていることは、古来から日本には霊的な蛇・龍の存在がおり、それらを神とあがめ、日本人の文化や伝統の中に入り込んでいる、という風にまとめられると思います。筆者はそれを批判的に見ているのではなく、栄えある日本の誇るべき文化であるとしていました。自分はこれを読んでぶっ飛びました。

 この本を読んでいると、巨大な蛇がそこらだ中いて、ビチビチと日本の国土を這い回っているような印象を受けました。キリスト教的視点からは、決して褒められたものではありません。

 問題の天照大神の正体ですが、鎌倉時代の仏教の僧侶が聞いた話に、こうあったといいます。 

 「伊勢神宮の斎宮(さいぐう)のところに、夜な夜な天照大神が通ってくる。帰った後に寝床を見てみると、必ずピカピカ光る鱗が落ちていた。」

 斎宮というのは、伊勢神宮で仕える、天皇と親族である未婚の女官のことです。これは、天照大神が男性神であること、蛇体であること、人間の処女と性的に交わっていることを示唆しています。本の作者は、伊勢神宮の近海から上がって来る鰐(ワニ)(=海に棲む龍)の姿も考えています。

 日ユ同祖論者はよく天照大神をイエス・キリストの姿に比定していますが、この話を聞かせてやりたい。ちなみに、伊勢神宮の内宮に据えられている心御柱(しんのみはしら)ですが、これは男性器を象ったものと解説されていました。これについて日ユ同祖論者のある人は、キリストが磔刑となった時の十字架を持ち込んだもの、と言っていますよね。

 また、出雲神社のしめ縄については、中国では女禍という創造にまつわる神がいるとされますが、あれと同じ姿、男性の蛇神と女性の蛇神が交尾している姿だと、本の作者は解説していました。これが日ユ同祖論者の手にかかると、雲と雷を象ったものとなるわけです。

 調べていくと、日本の昔話や古事記・日本書紀等には、本当にこれらの霊的な蛇、鰐のような存在にまつわる話が多いです。私はこれらを荒唐無稽な神話として捉えるのではなく、半霊半物質の存在がいて、人間の中に入り込んできた実際の出来事を反映したものだろうと思っています。そしてネフィリム的存在を生んでいくわけです。

 自分達の都合のいい文脈で日本文化を読み解こうとすると、味噌も糞も一緒、悪霊も聖霊と間違えてしまうわけです。ささいな間違いならいざしらず、根幹的なところを見誤ると危険です。

(つづく)