天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

近所の教会へ行く(5)

初出勤緊張しましたが、感謝なことに職場の人達がえらく気を使ってくださって
無事一日を過ごせました。

官公庁の3か月だけの気楽なバイトだと思っていたら、
なんと国家公務員の職員扱いになっていました。

雰囲気的にはやはり、民間と公務員の間には
天国と地獄のような差がありますね。

民間だとここまで人のことにかまけてられない。

明日からは仕事がだんだんと本格化していくので
また緊張の日々です。

さて、新しい教会での礼拝は今日で2回目なのですが、
礼拝の最後に「フラタニテ」というカトリック側で起きている働きの説明が、
教会の外部から来られた修道士の方からありました。

またカトリックぅ?と思ったのですが、
説明を受けてこの働きはなんか違うと思いました。

一つの家族のように、障碍者の人達と共同生活をするということなんですが、
奉仕される修道士の方は、「イエスの福音の小さい兄弟の家」という全世界的にみても
確か200人位しかいないグループに属しているとのことでした。

この「イエスの福音の小さい兄弟の家」のメンバーの人達は、
他に仕事を持ちながら、修道生活を送っているのだそうです。
なので非常に人気がない(笑)修道会だそうです。

この話を聞いて、昔自分が一時期考えていたことと似ていたので、気になると思いました。
修道士の方も司祭服ではなく一般人と同じ服装をしていました。

プロテスタントもそうですが、より歴史の古いカトリック側にも
色んな働きをしている人達がいて、一枚岩じゃないのだなあと思わされました。

小さき人に仕えるのは神様の御心だよなあ。
プロテスタントと制度は違っても精神は同じだよなあ。

このような真摯な気持ちで仕える人達には、いつかマリア崇拝が
間違った教えだということが示される日が来るのでしょうか。

働きそのものは素晴らしいと思いますが、
リベラ師が言うように、また聖書にも「大淫婦から逃れよ」とあるように
厳密に一線を画していった方がいいのでしょうか。

うーん・・・