天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

天使のような人(3)

Kさんを見てて思うのは、人間が勝手にカトリックだとかプロテスタントだとか

言っているだけであって、神様の側からしてみれば、一人ひとりの心が問題なのであって、

神様の気持ちをキャッチして、望まれる通りに行動できる人であれば、

そんな人間が引いた線引きは無意味だということです。

(霊的な視点で見た場合。正しい教え、間違っている教えは依然としてありますが。)

そして神様は全世界を広く見回して、そういう心を持つ人間を探しておられるのだと思います。

エス様の名前によって2~3人でも集まる場所には、

私も必ずその中にいると約束してくださっています。

もしその時、表面的に見てカトリックの囲いにいようが、プロテスタントの囲いにいようが、

正しい霊を受けたとしたならば、必ずや識別力も与えられ、

何が神様の御心か、そうでないかを判断していけるのだと思います。

神様が人をお救いになる方法は、人間が考えるよりも、

もっと幅広く色んな道筋を通してなされるのだと、経験上感じます。

安らかな天上界で長年暮らして、それから地上に降りてきたようなKさんですが、

もちろん人間らしい所、アレ?と思う所もあります。

カラオケや焼き肉が好きだったり、テルマエロマエブルーハーツが好きだったり。

「教会」に対する考え方が、Kさんと自分はとてもよく似ていると思ったのですが、

他の所でもKさんと自分の共通点があることに気づきました。

Kさん自らがデザインしたパンフレットを見せてもらったのですが、

それを見たとき、「まるで自分が作ったみたい」と思いました。

数年前に自分もチラシを作ったことがあって、それによく似ていました。

色使いとか素材の選び方とか。

Kさんは水色が好きなはずなんですが、

自分も何かと水色のものに目が行ってしまいます。

彼は趣味で合気道を習っているのですが、自分も数年前に習っていたことがありました。

あと二人とも平屋に住んでみたいと思っていることとか。

大きな違いは、Kさんはすごく社交的で活動的なのですが、自分は非社交的で静的なことです。

私は10代の頃修道院に入りたいと思っていたのですが、

キャラ的にKさんを活動修道会だとすると、私はまるきり観想修道会ですね。

修道士と聞くと世捨て人をイメージする人もいるかもしれませんが、

自分の方が限りなく世捨て人に近い(笑)

出会ったタイミングも、Kさんがちょうどホームを始められる準備をされていた頃で、

これらのことをトータルで考えると、神様はやっぱり自分をKさんと会わせるために

和歌山に連れて来られたとしか思えなくなってきました。

(つづく)