天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

不思議な出会い(その4)

今日は七夕ですね。

七夕大好きです。雰囲気が。
ロマンチックですよね。

教会の礼拝でも、牧師先生が七夕にちなんでマタイ7:7から
お説教してくださいました。

で、教会の帰りに前から気になっていた神社に立ち寄りました(笑)

境内に何故か七夕の短冊がおいてあって、
「願いごとを書いてください」
とあったので、自分の願いを何事か書いて笹に吊るしてきました。

この願い事は成就するの難しいぞー

まあそれはどうでもいいんですが。


なんで和歌山に来たのか?
と教会の人にもよく質問されたのですが、

しまいに説明するの面倒くさくなって、

「神様から呼ばれたんじゃないですか」
と答えてしまいまいした。

「神様から示されたのよね」

と、よくクリスチャンが言うのを耳にしますが、
自分は滅多にそんな風に感じないタイプなので、
それって思い過ごしじゃないのか、と正直心の中で思うこともあります。

ですが今回、自分が和歌山に来たのは何か意味があるのかな、
と今お世話になっている教会に来てから、だんだん意識するようになりました。

「あれ、これって自分に向けて言われている?」

と感じることが立て続けに3度あり、
自分の心の自然な願いと、周囲の状況からみて、
やっぱりそうなのかなとふんわり思い始めました。

結論から言うと、前にちょっとふれた「フラタニテ」の働きに
来週から参加させてもらうことになったんです。

いったいフラタニテで何をするのかというと、
自閉症だとか、障害がある方と家族的な交わりをするということです。

自分がもっと若いころ、みなし子達と一緒に生活して、
励ましたり、ご飯を食べたりする、
みたいなプランが頭に強くあった時期がありました。

実は私は根がいやしいので、食べることが大好きで、
子供の時からお菓子を作ったり、料理を作ったりするのが好きでした。

陰謀論の本も読みますが、料理の本もいつも眺めてうっとりしているみたいな(笑)

そんなんで、独身ということもあって、
いつも、自分のためだけにご飯作るのはつまらない、
誰かのために料理を作りたいなあ、家族がいたらいいなあ、
みたいなイメージが頭に浮かんでいました。

今日フラタニテの主催者の人に連絡して、
自分ができるどんな役目がありますか、と聞いたら、
さし当り「ご飯をつくること」と言われました。

「それなら出来ると思います。ちょうどそんな風に考えていました。」
と言ったら、主催者の人も喜んでくれました。

やっぱり神様これを私にさせたかったのかなぁ。

こんなふざけた人間に、
畏れ多くも神様そんな風に思われるのか疑念もあるのですが。

フラタニテの主催者はカトリックの修道士でもあり、
そんな人と、身近に話をするチャンスが出来たということでもあります。

カトリックカトリックとこのブログで書いていたら、
本当にカトリック側の人との出会いがありました。

これこそ不思議な出会いですよね。

新しい土地、新しい仕事も始まったばかりで、
更に新しい活動をするというのは、心配なところもありますが、
とりあえず来週やってみて、です。

それにしても、私が住んでいるアパートの同じフロアの人(私以外に3人)は、
皆障害を持った人のようで、どうも授産施設で働いているっぽいです。

私の隣に住んでいる、一番症状が重いと思われる人は、
相変わらず唸ったり、ドスドス歩き回ったり、ピンポンを連打したり(笑)しています。

私がここに住むことになったのも何か意味があるのだろうか。
隣から唸り声が聞こえるとさすがに怖い。

いや、本人は誰よりも苦しんでいるのでしょう。

これからこの4人はどうなっていくのだ(笑)