Kさんの障害を持った方への接し方は見事と言うほかなく、
神様の業がKさんを通して働いているのを、目の当たりにしているかのようです。
その姿を見て、「マザーテレサみたいねえ」と教会の婦人は言っていました。
彼は修道士なんですが、別に修道服着ているわけでもなく、それっぽい格好をしなくてはならない
という決まりもないみたいですが、彼のヘアースタイルを見るたびに
「てっぺんを剃っていない托鉢僧」
という言葉が脳裏に浮かんでくるんです。
床屋さんにおまかせで切ってもらっている、と言っていましたが、
まぎれもなくあれは托鉢僧スタイルだ。
よくジヨットとかが描いている托鉢僧の絵ありますよね?
映画とかにも出てくる中世の修道士でもいいんですけど。
その絵に描かれた托鉢僧のヘアースタイルに似ているんです。
雑誌LEONで最新の男性ファッションを見てきた者としては、
流行や時代を超越したスタイルを見て、突き抜けているよなあと思います。
表面に現れてくるものも、その人物と似てくるのかもしれない、と秘かに思っています。
ちなみに、直接確認したわけではありませんが、彼の洗礼名は「フランシス」らしいです。
カトリックの修道会に属してはいますが、こちらが心配するまでもなく、
ちゃんと組織のおかしな所を見破っておられました。
「教皇様はすばらしいって修道会の同僚は言うけど、それって盲目的だよね。」
「あの長ったらしい儀式はどうでもいいよね。司祭達のアドバイスもかえって害になってる。」
などと、恥じらいながら打ち明けてくれました。
その恥じらっている姿がかわいらしくて、核心を突いたことを言っているのに、
どうしてこの人はこんなに恥じらっているのだろう、とおかしくなってしまいました。
と言うと、警戒されて、その人は貧しい人達のために働いているのか、と逆に聞き返されました。
なのでプロテスタントがやっていることも、この人はちゃんと識別しているのだな、と思いました。
誰よりも神様の御心に沿った生き方をしているKさんであれば、このような些末な問題は
正しく判断できて当たり前なのでしょう。
(つづく)