天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

天使のような人(2)

Kさんの障害を持った方への接し方は見事と言うほかなく、

神様の業がKさんを通して働いているのを、目の当たりにしているかのようです。

その姿を見て、「マザーテレサみたいねえ」と教会の婦人は言っていました。

私が彼を見たとき、アッシジのフランチェスコのことが頭にピーンと浮かびました。

彼は修道士なんですが、別に修道服着ているわけでもなく、それっぽい格好をしなくてはならない

という決まりもないみたいですが、彼のヘアースタイルを見るたびに

「てっぺんを剃っていない托鉢僧」

という言葉が脳裏に浮かんでくるんです。

床屋さんにおまかせで切ってもらっている、と言っていましたが、

まぎれもなくあれは托鉢僧スタイルだ。

よくジヨットとかが描いている托鉢僧の絵ありますよね?

映画とかにも出てくる中世の修道士でもいいんですけど。

その絵に描かれた托鉢僧のヘアースタイルに似ているんです。

雑誌LEONで最新の男性ファッションを見てきた者としては、

流行や時代を超越したスタイルを見て、突き抜けているよなあと思います。

もし彼にアッシジのフランチェスコと同じ霊が注がれているのだとしたら、

表面に現れてくるものも、その人物と似てくるのかもしれない、と秘かに思っています。

ちなみに、直接確認したわけではありませんが、彼の洗礼名は「フランシス」らしいです。

カトリックの修道会に属してはいますが、こちらが心配するまでもなく、

ちゃんと組織のおかしな所を見破っておられました。

教皇様はすばらしいって修道会の同僚は言うけど、それって盲目的だよね。」

「あの長ったらしい儀式はどうでもいいよね。司祭達のアドバイスもかえって害になってる。」

などと、恥じらいながら打ち明けてくれました。

その恥じらっている姿がかわいらしくて、核心を突いたことを言っているのに、

どうしてこの人はこんなに恥じらっているのだろう、とおかしくなってしまいました。

私が「イエズス会士からプロテスタントの牧師になった人のことについて、調べて翻訳していたんですよ。」

と言うと、警戒されて、その人は貧しい人達のために働いているのか、と逆に聞き返されました。

なのでプロテスタントがやっていることも、この人はちゃんと識別しているのだな、と思いました。

誰よりも神様の御心に沿った生き方をしているKさんであれば、このような些末な問題は

正しく判断できて当たり前なのでしょう。

(つづく)