私が子供の頃からよく母が、
「聖書にイエス様の子供時代のことが書かれていないのはおかしい」
「どうやってその間過ごしていたんだろう」
と度々言っているのを聞きました。
私はそんなのどうだっていいじゃないかと思っていました。
昨年の暮れ、母が父(今は離婚している)の所に訪ねて行きました。
そして父の所に何故かあった「イエスの失われた17年」という本を持ち帰ってきました。
その本には母が長年探し求めていた答えが書いてありました。
「求めよ、さらば与えられん」ですね。
著者はエリザベス・クレア・プロフェットという女性で、神秘学者だということです。
(下野博訳・立風書房)
その本には、アジア一帯をイエスが13歳~29歳にかけて訪問した時の記録が、
チベットのラダック地方にあるヒミス寺院に残されており、
それを4人の人達が、別々の時期に検証したという内容のことが書いてあります。
その4人とは以下の人達です。(一人で行った人もいれば、隊で行った人も)
・ロシア人のジャーナリストのニコラス・ノートヴィッチ
・インド人でヒンズー哲学の伝道者、スワーミー・アベーナンダ
・ロシア人の芸術家であり神秘家・探検家でもあるニコライ・レーリッヒ
・スイス人音楽家のエリザベス・カスパリ
元々パキスタンやインド、チベットなどの周辺には、
イエスが若い時その地方を訪問し、共に暮らしたという言い伝えが残っているのだそうです。
それに関する記録が、ヒミス寺院だけでなく、あちこちの寺院に散らばっているだろうという
ことです。
まずノートヴィッチがイエス伝を発見する先駆者となりました。
彼は旅行中、たまたまラマ僧から聞いたイエスのアジア訪問に関する古写本について聞かされ、
ロシア正教徒であった彼は、大変興味をそそられ、ついに1887年、
ヒミス寺院に保存されていたその古写本を、通訳を通して書き写してきたということです。
当然ノートヴィッチの発表したことは物議をかもし、非難ごうごうでした。
みんな批判だけはよくして、自分で確かめない人達ばかりですよね。
その中で、スワーミー・アベーナンダは真偽のほどを確かめようと、
実際にその地まで足を運んだ人です。
ニコライ・レーリッヒは20世紀初頭のロシアの重要な人物で、
東洋の宗教に大変造詣が深く、探検家でもありました。
彼はアジア一帯を調査中、その古写本を調査する機会を得ました。
最後のエリザベス・カスパリは、もう一人の宗教家の女性と共にチベットを旅行中、
偶然にもこの写本にめぐり合ったという人です。
イエスの足跡を調査しに来たというわけではなかったようです。
ところで、我が家(といっても私と母)では何故か2~3年前からチベットブームが湧き起こり、
チベットのことが気になってしょうがなかったのですが、
ここでまたもやチベットに繋がり驚きました。
それはそうと肝心の古写本の内容ですが、
今日から少しづつ紹介できればと思います。
---------------------------------------------------------------------------------------------
「聖イッサ伝 ―人の子の最も秀れたる― 」
---------------------------------------------------------------------------------------------
イエスは13歳になり、当時の習慣では結婚しなければならなかった。
既に注目の的だったイエスを、周りの大人達は自分の婿にしたがっていた。
この時期にイエス(ヒミス寺院の記録では「イッサ」)は、
自分の生家を離れることを決心し、隊商にまぎれ、インドのシンド地方へ向けて旅立った。
---------------------------------------------------------------------------------------------
第5章(第1~4章は割愛します)
1.神はイッサを祝福したもう。若いイッサは14歳のとき、シンドのこちら側に来て、神の愛された地、アーリア人の間で一人立ちしていた。
2.この不思議な子どものうわさは、北シンド全域に広がった。彼が五つの川と、ラージプータナの国を過ぎたとき、ジャイナの神の帰依者たちは、自分たちの間にとどまってほしいとイッサに懇願した。
3.だが彼はジャイナの誤った信仰を捨て、オリッサの国、ジャガナートに行った。そこにはヴィアーサ-クリシュナの遺骸が安置されており、バラモンの白い僧らがイッサを歓迎した。
4.彼らはイッサにヴェーダを教え、祈祷によって病人を治すことを教えた。聖典を講じ、解釈することを教え、人の体から悪霊を払い、正気に戻すことを教えた。
5.彼は六年間をジャガナートで、ラージャグリハで、ベナレスで、また他の聖都市で過ごした。イッサが平和のうちに、ヴァイシャやシュードラと暮らし、彼らに聖教典を教えるのをみて、だれもがイッサを愛した。
6.だがバラモンとクシャトリヤは、イッサに告げた。ヴァイシャ、シュードラは偉大なるパラ・ブラフマ神の脇腹と脚から産まれた賤しいものである。われらは彼らに近づくことを、神によって禁じられている。
7.ヴァイシャに許されているのは、ただ祭りの日に朗読されるヴェーダを聞くことだけであり、
8.シュードラには何も許されていない。ヴェーダを唱える場に出ることも、ヴェーダのことを考えることすら許されていない。なぜならシュードラは、バラモンやクシャトリヤ、そしてヴァイシャにさえ、永遠に、奴隷として仕えねばならぬ身分だから。
9.(略)
10.しかしイッサはそのことばに従わず、バラモン、クシャトリヤにさからい、シュードラのもとにおもむいて道を説いた。
11.イッサは同じ仲間の人間から、人としての権利を奪い、横取りする卑劣な人間の行為をののしった。「なぜなら」とイッサは言った。「父なる神はわが子に、どんな差別も置いてはいない。父なる神にとっては万人が平等であり、万人ひとしくわが父の愛するものです」と。
12.イッサはヴェーダとプラーナが、神から発したものであることを否定した。「なぜなら」とイッサは彼に従うものに教えた。「神の掟はあのように煩瑣なものではありません。人の行為を導く掟は既に与えられているのです。すなわち、
13.「あなたの神を畏れよ。あなたの神にのみ膝まずけ。ただあなたの収入に応じてのみ、供物を捧げよ」
(つづく)